おはようございます。仙台カナン教会の國安光です。今朝も宮沢賢治作、「雨ニモ負ケズ」からお話します。
賢治は、詩の中で理想の人物を描きました。「アラユルコトヲ/ジブンヲカンジョウニ入レズニ/ヨクミキキシワカリ/ソシテワスレズ…東ニ病気ノコドモアレバ/行ッテ看病シテヤリ/西ニツカレタ母アレバ/行ッテソノ稲ノ束ヲ負ヒ/南二死ニサウナ人アレバ/行ッテコハガラナクテモイイトイヒ」
ここには、自分自身のことは勘定に入れないで、相手の言うことを本当に親身になって、心を傾けて聴くこと。そして忘れないということ。さらに、小さな子どもからお年寄りまで、東西南北足を運び、困っている人がいれば、何の打算もなく、迷いもなく、助けてやる人。これが、賢治の理想とした姿です。
無力さに打ちひしがれた時に、「より添い」共にいてくれる誰かがいるということ。これほどに大きな慰めはありません。
イエス・キリストの言葉に、こういう言葉があります。「憐れみ深い人々は、幸いである、その人たちは憐れみを受ける」(マタイ福音書5:7)。
誰かを憐れんだら、自分も憐れんでもらえる、そういう意味ではありません。本当の憐れみを知っている人は、誰かに憐れみを届けることができる、ということ。
イエス様は自分の命をささげて、一方的に私たちの命を救ってくださいました。これがイエス様の憐れみです。イエス様の憐れみは、朝日とともに私たちにも注がれています。憐れみに生きる人として、歩みましょう!