おはようございます。仙台教会の風間義信です。
難しいことをわかりやすく伝えることができれば、何と喜ばしいことでしょうか。聖書の中には、そのことを可能にした伝え方があります。それが「たとえ話」と呼ばれるものです。
特に新約聖書の福音書の中には、イエス・キリストが語られた多くのたとえ話が収められています。その中でも目立つものが、お金、特に借金にたとえられているものです。
これはまさに「たとえ」でして、お金のことを使って、私たちに伝えられなければならない重要なことが教えられています。それが「罪」のことです。
これは私たちが神様の教えに対して背いてしまったこと、外れてしまったものです。してしまったことは、後からなかったことにすることは出来ません。でも、借金であるならば、誰かが私の代わりに払ってくれるならば、なくすことが出来ます。
イエス・キリストの十字架は、身代わりの刑罰だと言われます。本当は借金にたとえられる罪は、他の誰でもない私のものなのですから、私自身に支払いの責任があります。けれども、私たちはそれを毎日増やし続け、とても返すことはできません。
だからこそ、イエス・キリストがその罪を負ってくださり、借金をすべて帳消しにしてくださいました。
この私たちにしてくださったことをはっきりと示すために、多くのたとえ話が語られました。私一人のためにどれほどのものがゆるされたのかを、イエス・キリストの十字架を見上げる中で考えてみましょう。