おはようございます。仙台教会の風間義信です。どうぞよろしくお願いします。
書物にはそれぞれ書かれた目的があります。それは聖書についてもそうでして、はっきりと書かれています。
新約聖書のヨハネによる福音書20:31には「これらのことが書かれたのは、あなたがたが、イエスは神の子メシアであると信じるためであり、また、信じてイエスの名により命を受けるためである」とあります。
実際に聖書を見ますと、厳しい教えが次々と出てきます。とても守ることはできそうもありませんし、目を背けたくなってしまいます。けれども、それで目を離してしまったならば、聖書の書かれた目的に達することはできません。
聖書は何も私たちが自らに絶望し、切り捨てるためにあるのではありません。確かに神様の思いにかなわないことは罪なのですが、この罪を身代わりとなって受けてくださったのがイエス・キリストの十字架です。なぜならば、私たちは代わっていただけるほど価値ある者だからです。
それだけに、私たちは本来ならば罪は死を持って罰せられなければならないのに、罪赦されて生かされる道が開かれていることに感謝しましょう。それは、私たちが立派に頑張ったからではなく、ただただ一方的な憐れみによって、私たちを生かすためになされたものです。
最初にお伝えした聖書の言葉が、「信じてイエスの名により命を受けるため」と言っていますように、その備えられている道は、イエス・キリストを信じることによって与えられます。
この番組によって、あなたに向かってその扉が開かれますよう祈っています。