ご機嫌いかがですか。キリスト改革派教会がお送りする「聖書を開こう」の時間です。今週もご一緒に聖書のみことばを味わいましょう。この時間は、キリスト改革派教会牧師の山下正雄が担当いたします。どうぞよろしくお願いします。
きょうから、ヨハネ福音書も新しい個所に入ります。今まで学んできたのは、最後の晩餐の席でのことでした。それは外の世界からは遮断された、イエス・キリストと弟子たちだけの世界でした。部屋の中という物理的な意味でも外から遮断されていましたが、裏切り者のユダが出て行った闇の世界からは隔絶された世界という意味でも、最後の晩餐の部屋は光に包まれた空間を醸し出していました。
これから学ぼうとする個所は、再び外の世界へと向かう主イエス・キリストの姿を描いた個所です。弟子のユダによる裏切り、逮捕、裁判、そして十字架による処刑へと一気に話が展開して行きます。
それでは早速今日の聖書の個所をお読みしましょう。きょうの聖書の個所は新約聖書 ヨハネによる福音書 18章1〜11節までです。新共同訳聖書でお読みいたします。
主イエス・キリストは、長い祈りを捧げた後、エルサレムの中で行なわれた最後の食事の席から立ちあがって、弟子たちと共にいつもの園へと向かわれました。ヨハネによる福音書には、その園の名前が記されてはいませんが、他の福音書ではその場所がアラム語で「ゲツセマネ」(オリーブオイル搾り)と呼ばれていたと記されています。キドロンの谷を挟んでエルサレムの東側、オリーブ山の西の麓にある園でした。ヨハネ福音書にはその園の名前こそ記されませんが、しかし、もっと重要な事柄が記されています。それは、この園については、裏切り者のユダもその場所を知っていたということです。それは、イエス・キリストが、この場所に弟子たちと共に何度も来られたことがあるからです。ルカによる福音書では、この場面を「いつものように…いつもの場所に」行かれるキリストの行動として描いています(22:39)。ですから、どこへ行けばイエス・キリストに会うことができるのか、ユダが知っていたのも当然です。「こう話し終えると、イエスは弟子たちと一緒に、キドロンの谷の向こうへ出て行かれた。そこには園があり、イエスは弟子たちとその中に入られた。イエスを裏切ろうとしていたユダも、その場所を知っていた。イエスは、弟子たちと共に度々ここに集まっておられたからである。それでユダは、一隊の兵士と、祭司長たちやファリサイ派の人々の遣わした下役たちを引き連れて、そこにやって来た。松明やともし火や武器を手にしていた。イエスは御自分の身に起こることを何もかも知っておられ、進み出て、「だれを捜しているのか」と言われた。彼らが「ナザレのイエスだ」と答えると、イエスは「わたしである」と言われた。イエスを裏切ろうとしていたユダも彼らと一緒にいた。イエスが「わたしである」と言われたとき、彼らは後ずさりして、地に倒れた。そこで、イエスが「だれを捜しているのか」と重ねてお尋ねになると、彼らは「ナザレのイエスだ」と言った。すると、イエスは言われた。「『わたしである』と言ったではないか。わたしを捜しているのなら、この人々は去らせなさい。」それは、「あなたが与えてくださった人を、わたしは一人も失いませんでした」と言われたイエスの言葉が実現するためであった。シモン・ペトロは剣を持っていたので、それを抜いて大祭司の手下に打ってかかり、その右の耳を切り落とした。手下の名はマルコスであった。イエスはペトロに言われた。「剣をさやに納めなさい。父がお与えになった杯は、飲むべきではないか。」