熊田なみ子のほほえみトーク 2015年12月22日(火)放送

熊田 なみ子(スタッフ)

熊田 なみ子(スタッフ)

小さな朗読会196「わたしがおります。わたしをおつかわしください」「イスラエル王国の終わり」
(母と子の聖書旧約下」93-94章)

 そのころ、ユダの国には、世界でもいちばん偉大な預言者が住んでしました。その名前はイザヤといいました。
 イザヤは、ウジヤの治世の、おわりのほうに生まれました。彼は、ウジヤの死後三代の王の治世に預言をしました、それらの預言は一つの書物にまとめられました。聖書にそれがのっています。
 ウジヤの死んだ年に、イザヤはすばらしい幻を見ました。イザヤは高くあげられた王座に、セラピムという天使に囲まれてすわっている大能の神を見ました。

 どのセラピムにも六つの翼があり、おのおの二つで自分の顔をおおい、二つで自分の足をおおい、二つで飛んでいました。
 セラピムは、声をだして、「聖なるかな、聖なるかな、聖なるかな、万軍の主、その栄光は全地に満つ」と呼ばわっていました。セラピムがこういうと、神殿の基礎がゆれ、神殿は煙でいっぱいになりました。
 イザヤは、偉大なセラピムの声を聞き、神殿が煙でいっぱいになりながらゆれるのを感じて大そう驚きました。そして、罪人である自分が主なる神を見たので、死ぬのではないかと思いました。
 すると、セラピムの一つが祭壇から燃えている炭を一かけらとりイザヤのところに飛んできました。そして、それをイザヤの口につけ、「見よ、これがあなたのくちびるに触れたので、あなたの罪はゆるされた」といいました。

 それからイザヤは、「わたしはだれをつかわそうか。だれがわれわれのためにゆくだろうか」と主がいわれるのを聞きました。
 「ここにおります。わたしをおつかわしください」と、イザヤはこたえました。
 主はイザヤをとおして、イスラエルの民にたくさんのメッセージを伝えられました。イザヤ書には、これらのすばらしい預言がたくさん記録されています。イザヤは、将来、ユダにおこるできごとを預言しました。
 これらの預言でもっともすばらしいものは、キリストの来臨について語られたものです。イザヤはイエスさまが生まれる700年も前に、それを書いたのでした。

 みなさんは、おぼえていらっしゃるでしょうが、神さまはエバに、彼女の子供のひとりをとおして、善と永遠の生命をふたたび人に与えると約束なさいました。神さまは、アブラハムに、その子孫のひとりをとおして全世界が祝福される、とも約束されました。また神様は他の人々に、いつか全世界の救い主となる子が生まれることを約束なさいました。
 もっともすばらしい約束のいくつかは、イザヤに与えられました。成就する何百年も以前にイザヤが語ったことのいくつかに、耳を傾けてみましょう。
 「見よ、おとめがみごもって男の子を生む。その名はインマヌエルととなえられる。」
 この約束は別の言葉でくり返されました。
 「ひとりのみどりごがわれわれのために生まれる。ひとりの男の子がわれわれに与えられる。まつりごとはその肩にあり、その名は、『霊妙なる議士、大能の神、とこしえの父、平和の君』ととなえられる。」
 イザヤはキリストの誕生と同時に、キリストの苦しみも預言しました。
 「彼は侮られて人に捨てられ、悲しみの人で、病を知っている」といっています。イザヤは、キリストが私たちの罪のために苦しむことも知っていました。
 「彼はわれわれのとがのために傷づけられ、我々の不義のために砕かれたのだ。」とイザヤは書いています。

 イスラエル人は、これらの預言をどれほど理解したでしょう。神さまが救い主を送ってくださることはわかっていたでしょう。これらイザヤの預言によって、彼らはいっそう熱心にその救い主のこられるときを待ちのぞむようになりました。キリストの誕生までの700年間、彼らはそのあらわれるのをまち望みました。

 さて、ここでなさけないお話しをしなければなりません。それは、善良なヨタムの息子であったユダの王アハズのことです。
 アハズはよい王ヨタムの息子で、よい王ウジヤの孫でした。それなのに彼は、ユダの王のうち最悪の王でした。アハズは父や祖父のした善いことをみなくつがえしてしましました。
 アハズは、バアルのために偶像をつくりました。彼は悪い異教徒のように、自分の子供を火に焼き丘の上やあらゆる木の下で、異教の神にささげものをしました。
 アハズ王が偶像にむかったとき、民の多くも主を捨てました。まわりの国々はみな偶像を拝むので、ユダの民は、隣国のすることをみなまねしたかったのです。

 神さまは、その罪を罰するために、ユダに敵の軍隊をつかわされました。その軍隊は、スリヤ王に率いれらるスリヤ軍と、ペカ王に率いられたイスラエル軍でした。悪王ペカがやったもっとも悪いことの一つは、ユダの民と戦うために、スリヤ王と手をつないだことです。
 スリヤの王はユダのアハズ王と戦いました。神さまは、スリヤ人に勝利を与えられました。彼らは、大勢のユダの民を捕虜としてダマスコへ連行しました。

 イスラエル王のペカも、アハズと大戦争をしました。1日でペカの兵は、ユダの兵12万人を殺しました。そのうえ、イスラエルの民はユダの女子供を20万人、奴隷にするためサマリヤに連れてかえりました。
 サマリヤに主の預言者がいました。そして、イスラエルの人々が、自分と同じ民族の婦人や子供を奴隷として連れかえってきたことを知って、あきれてしまいました。
 この預言者は戦いから帰ってくる兵を迎えにでて、「主はユダを怒って、これをあなたがたの手に渡され、あなたがたはこれを殺した。そして今度は、その女や子供を奴隷にしようと思っている。神はあなたがたの罪を怒っておられる。あなたがたが捕えてきた捕虜を放ち帰らせなさい」といいました。

 イスラエルの部族のおもだった人々も何人かでてきて、兵隊たちに、「捕虜をここに入れてはならない。われわれはすでに主を怒らせている、あなたがたはこれ以上、主を怒らせたいのか」といいました。
 そこで兵隊たちは、ユダからりゃくだつしてきた宝や捕虜を全部捨てました。部族のおもだった人たちは、全部の捕虜に、兵隊たちがもって帰ってきた服を着せ、食べ物と水を与えました。弱っているものはろばにのせ、みな、自分の国に帰ることをゆるしました。

 しかし、何という悲しい帰国だったことでしょう。何千という家庭では、夫や父親が死んでいました。何千という家では、そこの息子や娘が、ダマスコに、奴隷として連れ去られていました。
 これは偶像礼拝のきびしい罰でした。しかし、まだ教訓はみなの心にひびいていませんでした。アハズ王は、主に、イスラエル人とスリヤ人とから救ってください、と祈るかわりに、アッスリヤの大王に援助をこいました。
 アハズ王は、この援助を得るのに大金を払わなければなりませんでした。彼は神殿から金や銀を全部もちだして、アッスリヤ王のもとに送りました。この王はダマスコまで出てきて、その町と戦い、その支配者を殺しました。
 アハズは戦いを手伝うため、ダマスコまでゆきました。そこで、異教の祭壇の前にいけにえをささげました。その祭壇は大へん彼の気にいりました。そこで、王はそのひながたをエルサレムにいる祭司のところにおくりました。すると、悪い祭司は、この異教の祭壇と同じものをつくってエルサレムにたて、すぐ使えるようにしました。

 ダマスコでは、アハズ王は、スリヤの異教の神々にいけにえをささげました。この神々がスリヤ軍を助けたと、アハズは思ったのです。もし、自分がその神々にいけにえをささげれば、自分も助けてもらえる、と考えました。自分の偉大な神に聞いて見よとは考えもしませんでした。
 アハズ王は、ダマスコからもどってくると、祭司がつくった祭壇でスリヤの異教の神々を礼拝しました。もっと悪いことに、エルサレムにある主の神殿のとびらをしめてしまいました。また、宮の金銀の皿をつぶしました。彼は、エルサレムのいたるところ、ユダのすべての町々に異教の祭壇をたてました。

 アハズがアッスリヤ王に援助を頼んだことは、大変な間違いでした。というのは、アッスリヤ王国は、その頃全世界を征服しようとしていたのです。今までは、スリヤのいちばん強い町であったダマスコは、征服できませんでした。そのダマスコはイスラエルとアッスリヤの間にあったので、ダマスコを征服しない限りは、アッスリヤの王は、イスラエルに来れなかったのです。
 今や、ダマスコがアッスリヤの手に陥ると、もうじゃまなものは何もありません。次は、アッスリヤの何人かの王が、イスラエルを攻める手はずを決めるだけでした。

 ここは大へん、悲しい章になります。
 ついに、イスラエルの子らに、恐ろしい罰がやってきました。神さまは、もう彼らをがまんできなくなりました。彼らは、むかしこの国にいて神さまが追いだされた異教徒たちと同じほど、罪深いものになってしまっていました。
 主は、何度も預言者をおくって、「あなたがたの悪を離れて、わたしのいましめを守りなさい」といわれました。しかし、人々は、耳をかしませんでした。強情に、神さまに従うことをこばみ、異教徒の道に従いました。
 彼らは、礼拝のための偶像をつくりました。彼らは2頭の金の子牛とアシラのまえにひれふしました。彼らは、太陽、月、星を拝み、モロクのいけにえとして自分の息子や娘を焼き、魔法を使いました。そのため、主はイスラエルを大そう怒られました。

 ペカ王は、20年治めたあと、ホセアに殺されました。ホセアは王になり9年間治めました。彼もまた悪王でした。
 ホセアの治世の第9年目にもう一人のアッスリヤの大王が、イスラエルを攻めにきました。ダマスコが征服されているので、イスラエルの首都サマリヤは、わけなく捕えることができました。彼は、ホセアを自分の家来として、みつぎを払わせました。

 しばらくして、ホセアは反逆しました。彼はみつぎをおくらないで、エジプト王の援助を得て、アッスリヤと戦おうと考えたのです。
 これを知ったアッスリヤ王は、サマリヤにやってきて、3年間、サマリヤを包囲しました。遂にサマリヤはおとされ、王は捕虜にされてしまいました。イスラエルの民は捕虜にされ、大方の者は、アッスリヤに連行されました。神さまは、彼らが不忠実だったので、ご自身の民としてこの地に住むことをもうおゆるしにならなかったのでした。

 イスラエルの民が、先祖から伝わったなつかしいわが家を見おさめたときの、悲しみと涙は、どんなに激しかったでしょう。自分たちの愛する者に、どうして別れが告げられましょう。どうしてそこを離れて二度ともどってこないでいることができましょう。

 アッスリヤの地に、イスラエルの民は追いやられました。そこで彼らは、異教の国々のあいだへ散らされました。何年かするうちに、彼らは異教徒とまざってしまいました。最後にどうなったか、だれも知りません。彼らは、イスラエルの民の「失われた部族」です。
 これらの部族は不従順だったので、もう神さまの民ではありません。聖書には、彼らについての記録はこれ以上ありません。彼らは失われ、永遠に忘れられてしまいました。ここから先の聖書物語は、ユダの民についての物語です。

 十部族が、アッスリヤに連行されたあと、バビロンから人々が連れられてきて、イスラエルの地に住むことになりました。もちろん、それは異教の国民で、神さまについては何も知りませんでした。彼らは、自分たちの偶像をもってきて、それを礼拝しました。これらの民が神さまを敬わないので、神さまはそのあいだにライオンをおくり、何人かを殺されました。

 この出来事は、アッスリヤ王に報告されました。王は、捕虜にされたイスラエルの祭司を一人サマリヤに帰して、新しくきた民に、どうやって神さまを礼拝すべきかを教えるように、命令しました。
 この命令は実行されました。祭司の一人はもどって、どうやって主を礼拝すべきかを人々に教えました。しかし、この人たちは、偶像礼拝のなかで育てられていたので、教えの効果はあまりありませんでした。彼らは、自分たちの国からもってきた偶像を礼拝しつづけ、それにまことの神さまの礼拝をつけ加えただけでした。
 その子供も孫も、これにならい、主と偶像の両方につかえました、のちに、この人たちは、「サマリヤびと」として知られるようになり、本当のイスラエル人ではないので、ユダの人々に軽べつされました。

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