ユダの王国についてはしばらく書きませんでした。最後に述べたのは善良なヨシャパテ王に次いで、その子ヨラムが王となったことでした。ヨラムは父のような良い王ではありませんでした。彼はアハブとイゼベルの娘アタリヤという悪い妻と結婚してしまいました。この女は、自分の主人に悪いことをさせました。
第一に彼は、自分の六人の兄弟を殺し、次に偶像を礼拝し、しまいには自分の国の人々に、にせの神々を礼拝させました。神様はヨラムを懲らしめるため、ペリシテ人とアラビヤ人がユダの町々に入り、宝をみな持ち去ることを許されました。彼らは末の男の子を残しただけで王の息子をみな殺しました。神様は恐ろしい病気をヨラムに送り、それがもとでヨラムは死にました。
次にアハジヤが王になりました。その母アタリヤがけしかけるので彼もその父にならい悪い王でした。王になって間もなく、彼はおじにあたるイスラエルの王ヨラムに会いに行きました。二人の王は、スリヤ人がイスラエル人から奪った町、ラモテ・ギリアデと戦う相談をしました。アハブがこの町を占領しようとして死んだことは皆さんも覚えているでしょう。
二回目の戦いで、イスラエルは町を占領できましたがヨラム王は傷つきました。彼とアハジヤはエズレルの町に戻り、軍隊はラモテ・ギリアデに残しました。王たちは二人共アハブ家のものでした。神様はアハブをその悪のゆえに罰せられました。神様は、アハブの家のものはみな血なまぐさい死に方をすると言っておられました。町で死ぬものは犬に食べられ、野で死ぬものは鳥に食べられると。神様はまた、イゼベルが恐ろしい死に方をし、エズレルの壁の側でその死体は犬に食べられるとも言われたのでした。この預言は、アハブの死によって一部成就しました。
神様は、残りの罰をアハブの家とイゼベルに下すために乱暴で激しい人を用いられます。その人は、イスラエルの王ヨラムの軍隊の長の一人、エヒウでした。エヒウは、精力的でおしが強く、直ぐ行動に出るような人でした。彼は全てのことを、力強く、決断をもってしました。
預言者エリシャは、まだイスラエルに住んでいました。ある日彼は、若い預言者を一人呼び寄せ、油のびんを渡し、イスラエルの軍隊が陣取っているラモテ・ギリアデに行くように命じました。若い預言者は、油を持ってラモテ・ギリアデに行きました。行ってみるとエヒウは、他の軍の長たちと一緒にいました。エリシャからの使者は、「将軍よ、私はあなたに申し上げることがあります。と言いました。「我々すべての内の誰にですか」とエヒウが聞きました。「将軍よ、あなたにです」と若い預言者は答えました。エヒウは立って若い預言者と一緒に家に入りました。
預言者は、エヒウの頭に油を注ぎ、同時に「イスラエルの神、こう仰せられます。『私はあなたに油を注いで主の民イスラエルの王とする。あなたは、主君アハブの家を撃ち滅ぼさなければならない。彼が私の預言者やしもべたちを殺したからである。イゼベルも同じである。そのため、アハブの全家は滅びるであろう。犬がエズレルの地域でイゼベルを食い、彼女を葬る者はないであろう。』と言いました。これだけいうと、預言者は戸を開け、大急ぎで逃げました。エヒウはまた他の将軍たちの所に戻りました。
彼らは、「あの気の狂った者は何のためにあなたの所に来たのか」と尋ねました。エヒウは、はじめ答えないで「あの人がどんな人かあなたがたにもわかるでしょう。」と言っていましたが、将軍たちはこの返事に満足しないで「それは違います。どうぞ我々に話してください。」と言いました。とうとうエヒウも話す気になりました。「彼は私にこう告げて言いました。『主はこう仰せられる。私はあなたに油を注いでイスラエルの王とする。』と。将軍たちは喜びました。彼らは主の預言者を殺して国全体に偶像礼拝を強制したアハブの悪い家を憎んでいたからです。彼らは、おのおの自分の服を取って階段の上に敷き、エヒウが立つ敷物としました。そして高々とラッパを吹き「エヒウは王である」と叫びました。
これはみなラモテ・ギリアデで起こったことです。ヨラム王とアハジヤ王は戦いの後、エズレルの町に戻っていましたが軍隊はまだここに残っていました。行動の人であるエヒウは、自分が王にされたことを誰もエズレルに行ってヨラムに告げないように陣営の門を閉ざせと命令しました。将軍たちは、自分の車に乗って、アハブの家の人が多くいるエズレルへ猛烈な勢いで飛ばしました。アハブの息子であるヨラム王もそこにいればユダの王アハジヤもいました。アハジヤの母は、アハブの娘であったので彼はアハブの孫なのです。アハブの家の終わりは間近です。
エズレルに一つのやぐらがあり、敵が近づいてくるといけないので、夜昼、物見がそこで見張っていました。物見が国のあちこちを見まわしているとき遠くの方でほこりが舞い上がっているのを見ました。まもなく、それが馬に乗った一群であるのがわかりました。彼は王に通知しました。ヨラム王は、近づいてくる一群を迎えて、平和の目的で来るのかを聞くため、馬に乗った使者を一人送り出しました。使者は門を出て、エヒウの所まで来ると「平安ですか」と尋ねました。「あなたは平安となんの関係がありますか。私の後について来なさい」とエヒウは言いました。
やぐらの物見は、使者が馬に乗って出て行き、近づく馬に乗った一団と話していたが戻ってこないことをヨラム王に知らせました。王はメッセージを持たせて二人目の使者を出しました。エヒウはまた「あなたは平安となんの関係がありますか。私の後について来なさい」と言いました。やぐらの物見はまた、「彼も彼らの所へ行きましたが帰って来ません。あの車の操縦はエヒウだと思います。猛烈な勢いで操縦してきます。と王に伝えました。エヒウは軍隊の長なので、スリヤ人か他の軍勢がどこかの町に戦いを挑んできたという報告をしにきたのだと王は思いました。
ヨラムは自分とアハジヤ王の車を用意するように言いつけました。二人は一緒にエヒウに会いに出かけました。近づくとヨラムは不安げに「エヒウよ。平安ですか」と声をかけました。しかし、エヒウは「あなたの母イゼベルがこんなに悪を働いたのに、どうして平安でありえましょうか」と叫び返しました。ヨラム王は直ぐに変だと気付きました。彼は逃げるために車をまわし、逃げながらアハジヤ王に、「アハジヤよ、反逆です。」と叫びました。
エヒウは非常に機敏で、力のある人でした。一瞬のうちに力一杯弓をひき、ヨラム王の心臓を矢で射ました。王は車のなかに倒れて死にました。エヒウは、ほかの将軍たちに「彼を取り上げてナボテの畑に投げ捨てなさい。アハブが王の時、主は、「わたしはナボテの地所であなたに報復する」と言われました。」と言いました。
アハジヤ王は、ヨラム王に起こった事を見て車をまわし逃げました。エヒウは「彼をも撃て。」と将軍たちに叫びながらアハジヤを追いました。将軍たちは、アハジヤを殺しました。彼もアハブの家の一人だったからです。アハジヤの家来は自分たちの死んだ王をユダの国まで運びダビデの町に他の王たちと共に葬りました。
エヒウの一団は、イゼベルの住んでいるエズレルの町に着くまで、車をかりたてました。エヒウのしたことを聞いたイゼベルは、顔に化粧し、髪をとき、二階の窓から顔を出しました。エヒウが城門を入るとイゼベルは彼に呼びかけました。しかし、エヒウは彼女に耳をかしませんでした。そして、「私に味方する者があるか」と叫びました。二、三人の家来が顔を出したので、エヒウは彼らに、「彼女を投げ落とせ」と言いました。しもべたちは、窓からイゼベルをまっさかさまに突き落としました。彼女は下の石畳に落ちて死にました。その血は壁やエヒウの馬に跳ね返りました。エヒウは自分の車で彼女の死体をひき、馬は彼女を踏みつけました。食事を終えた後、エヒウは家来に「あののろわれた女を見、彼女を葬りなさい。彼女は王の娘なのだ。」と言いつけましたが、家来たちが行ってみるとエズエルの野犬に既に食べられてしまっていました。
エヒウの仕事は、まだ残っていました。アハブには大勢の妻と息子がいました。アハブの息子でまだ殺さなければならないのがサマリヤに70人住んでいました。エヒウは、アハブのそれぞれの息子のもり役に手紙を書き、70人の息子を殺すように命じました。アハブの家のもの全部が滅ぼされなければならなかったのです。アハブの息子が一人でも残っている限り国は偶像崇拝から解放されません。
道でエヒウはアハジヤの甥、42人に会いました。かれらは、いとこたちに会いに行くところでした。これらはアハブ王の孫にあたるのでエヒウの兵隊は彼らも殺しました。エヒウは、アハブの家の男の人は、一人も残しませんでした。この悪い家系を国から絶つように、という神様の命令に従うため、アハブの身内のものを見つけ次第殺しました。女の人はみな殺しませんでした。神様は、女たちまで殺せと言われませんでした。あとでわかるように彼がユダに行って、アハブとイゼベルの悪い娘アタリヤを殺さなかったのは惜しいことでした。
エヒウがアハブの身内をみな殺したあと、もう一つ大切な仕事がありました。国から偶像礼拝を締め出さなければなりません。サマリヤでは、アハブとイゼベルが偶像礼拝を強要したので、ほとんどの人が偶像礼拝者でした。エヒウは、バアルの祭司や預言者たちをみな集め、一度に全部を殺して、主の国から偶像礼拝を一掃したいと思いました。これらの預言者を一人残らず集めるため、エヒウはみなを騙しました。彼はサマリヤの人々に、自分はアハブよりもはるかに熱心にバアルに仕える。大きな生贄を供えるからバアルの祭司や礼拝者たちはみな集まらなければいけない。もし、バアルの礼拝者で生贄に来ない者がいたらその人は殺されると宣告しました。
国の方々からバアルの礼拝者は集まってきました。エヒウのような厳しい人に背くことをみな恐れたのです。エヒウはまことの神の礼拝者であるヨナダブという人に会いました。彼は、「私と一緒に来て、私が主に熱心なのを見なさい。と言い、ヨナダブを自分の車に乗せました。二人は一緒にバアルの宮に行きました。宮は礼拝者で端から端まで一杯でした。彼らは息もつけないほどに宮にぎっしり入っていました。エヒウとヨナダブは、宮の入り口から入ろうとしましたが入れません。エヒウは人々に「ここにはただバアル礼拝者のみで、主のしもべは一人もいないようにしなさい。」と叫びました。エヒウとヨナダブは外に出ました。そして、エヒウはバアルの礼拝者が宮で着る祭服を預かっている人に「祭服を取り出して、バアルの全ての礼拝者に与えよ。」と言いつけました。
それから彼は80人の家来を宮の外に配置しました。そして、彼らに「あなたがたがこの人たちを一人でも逃がすならば、自分の命をもってその命に変えねばならない」と言いました。兵隊たちに向かって彼は「入って彼らを殺せ。一人も逃がしてはならない」と命じました。兵隊たちは、エヒウに従いました。バアル礼拝者で逃れたものは一人もありませんでした。外にいた兵士たちは、祭服で彼らを見分け、中の兵たちが逃がしたものを殺しました。エヒウは兵たちを宮の中に送り、そこにある偶像を全部持ち出させ焼きました。バアルの像は砕かれ宮もめちゃめちゃに壊されました。
預言者の言った通り、アハブとその全家は死にました。エヒウはバアルの祭司、預言者、礼拝者をみな滅ぼしました。偶像はみな焼き払われ、バアルの宮も壊されました。これはみな必要なことでした。悪いアハブの家は民をまことの神から引き離し、バアルを礼拝させたからです。この国で神様はほとんど忘れられてしまっていました。神様はこの国からアハブの家系とバアル礼拝を一掃するために、このつわ者エヒウを遣わされたのです。エヒウよりも優しい人ではできなかったことでしょう。エヒウはその働きを報いられました。神様は彼が王となり、その子孫も四代にわたって王になると言われました。
さて、もし誰かが神さまのことを教えていたら、イスラエルの民は主に立ち返ったかもしれませんがエヒウは立派な軍人であったものの教えることは苦手でした。彼はバアル礼拝を一掃しましたが、神様を礼拝するように人々を教えようとはしませんでした。イスラエルの民は、すっかり偶像に慣れてしまっていたため、目に見えない神をどうじて礼拝できるのか理解できませんでした。
イスラエルの最初の王ヤラベアムが、ユダの王国からイスラエルの王国を分けた時、彼はイスラエルの民がエルサレムに礼拝に行かないように二つの金の子牛の像を作りました。この金の子牛はまだ礼拝されていませんでした。金の子牛はまことの神を現すものだったので、異教の偶像バアルの礼拝とは違いました。もちろん、民がこの金の子牛を拝んでよいはずはありません。十戒の中で神様はどんな像も拝んではいけないと言っておられます。しかし、イスラエルの国の民はあまり長い間、偶像を拝んでいたので、目に見えない神は礼拝できないと思っていました。
今から見るとなんとばかばかしい間違いでしょう。たとえ神様は見えなくても、私たちは神様を礼拝し、神様に祈れることを知っています。イスラエルでも全部の人が子牛を礼拝したわけではありません。神様は人々に主のことを教えるため大勢の預言者を送られました。ある人たちは預言者に耳をかし、正しい方法で神様を礼拝しました。神様はご自分を忘れたことに対して、イスラエル人にきつい罰を下すことにされました。
何年かの後、ユウフラテ川の向こうの強力な王たちに、イスラエル人が征服されることを神様は許されました。彼らは自分の国から遠くの国へ連れ去られてしまうのです。エヒウの統治の時、神様はこの懲らしめを始められました。神はシリヤ王ハザエルがヨルダン川の東側でイスラエル人と戦いことを許されました。ハザエルは、ガド、マナセ、ルベンの部族の町の多くを破壊しました。ハザエル王は大そう残酷でした。エリシャは、ハザエルがイスラエルの町を焼き、その若者を剣で殺し、幼児を石に叩き付けて殺すのを知って泣いたのでした。このことは全てエヒウの統治の時に実現しました。