キリストへの時間 2015年11月15日(日)放送  キリストへの時間宛のメールはこちらのフォームから送信ください

中山仰(清和学園宗教主任)

中山仰(清和学園宗教主任)

メッセージ: 独り子を捧げる

 おはようございます。清和女子中高等学校、宗教主任の中山仰です。
 今日は旧約聖書の創世記から、アブラハムについてお話をします。

 アブラハムがその子どもイサクを捧げるという箇所は、信仰の厳しさを教えられるのではないでしょうか。子どものいなかったアブラハムですが、神の恵みによって息子イサクを与えられたのは、彼が100歳の時、妻のサラが90歳の時でした。せっかく与えられた子どもを、神は、アブラハムの信仰を試すために「ささげなさい」とお命じになりました。この時のアブラハムの心境はいかばかりであったことでしょうか。聖書には心境が述べられていないので、推測するほかありませんが、私たちが彼の立場であったら果たして、すぐに行動に移ったかのように記録されていますが、彼のようにささげる決心ができたでしょうか。

 アブラハムは神の導きを信じて、見知らぬ国までついてゆきました。いくつもの困難の中で、神は彼をいつも守り支えて来られました。しかし、その子イサクをささげよという要求は、立派な信仰者であっても簡単に決意できるのでしょうか。私だったら果たしてどうであったか非常に難しい判断を要します。

 創造者なる神は、無から有を創り出すお方ですから、イサクを失っても代わりの子どもを授けてくれることでしょう。しかし、それも絶対とは言い切れません。神はそんな条件をつけていないからです。まして、死んだ子どもが生き返るという確信は薄かったのではなかったかと思います。

 ある学者は、アブラハムはここで「絶対者に対して絶対となった」という表現をしています。私にはそんな難しいことは分かりません。かつてソドムの町が滅ぼされると聞いたときに、そこに10人の善い人がいたら、滅ぼさないでくださいと執拗に迫った彼の正義感を私たちは知っています。ですから、息子の命を何としてでも助けられないのかと思ったはずです。
 でも今回ばかりはどうしようもありません。何をしていても、常に神のご命令は頭から離れないでしょう。息子イサクを見るにつけ、幼い頃からの思い出がよぎってくるでしょう。神の残酷な命令に不満をもらしたり、心の中で抗議したのでしょうか。私はあったと思いたいのです。

 結局はこのアブラハムの徹底した「自分の独り子である息子すら、わたしにささげることを惜しまなかった」という信仰を見て、主なる神は「彼と彼の子孫と地上の諸民族は祝福を得る」ことになります。
 アブラハムの苦悩を通して、父なる神が独り子であるイエス様を私達のために遣わされ、私達の罪の身代わりとしてささげて下さる、ところに通じていくと思います。

 この時に、神の父としての痛みはなかったのかという不謹慎に近いような思いを重ね合わせました。御父のご計画とはいえ、そんなに簡単な服従だったのでしょうか。御父は人ではなく神ですから、私たちはその心境を推し量ることなどできません。またしてはいけないことなのでしょう。でもアブラハムのこの時の心境を推察するときに想像できることは、父なる神にあってもおかしくはないと私は思いました。もしそうでないと、神は機械的に、簡単に御子を十字架につけることを決断されたことにもなるからです。その観点から考えるならば、前述の「絶対者に対して絶対になった」という言葉も分からなくもないのですが。やはり私たち被造物は絶対者になれないと思います。

 何を言いたいのかと言いますと、神の痛みがなかったわけではないのではないかということです。断腸の思いをもっての決断を知るとき、それほどの痛みを経なければ、私たち人間の罪が解消されないということを強く突きつけられるからです。ですから、アブラハムのこの時の苦悩を推し量ることは悪くないことだと思うのです。

 その推測から神の父としての苦悩が実際にどのようなものであるか分かりませんが、はからずもそこから、私たちの罪の重さと、神の計り知れない恵みを少しでも感じることができるようになったからです。

 ある求道者の方は、洗礼を受けたいが、どうしてもこの箇所がひっかかるといって、最終的に教会から離れて行かれてしまいました。私たちも十分な意味で理解することなどできません。しかし、神はアブラハムに命じただけでなく、彼がどちらを決断したかは別にして、ご計画の中に初めから独り子イエス・キリストの十字架のあがないを用意しておられたのです。

 アブラハムの決断如何によって、神の永遠のご計画が変わってしまうということはありません。ですから、私たちは主なる神に自らの命をささげることを厭いません。ただ不信仰のゆえに、アブラハムと同じ決断をできるわけではありません。悔い改めつつ、委ねて、従って行きたいと思っています。

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