おはようございます。西山秀治です。
私は、1980年の冬、土砂崩れで被害を受けたネパールの村や各地で活動している日本人キリスト者を支援するためのツアーに参加しました。
エベレストやアンナプルナの雄大な景色を見るだけでも大満足なのですが、裸の像にまたがって、サバナ地帯のクロヒョウやサイ、ワニたちが自然に生息している国立公園の散策は楽しい記憶です。と同時に、旅行の最後の日曜礼拝のできごとが、突然烙印のように浮き上がってきました。
当時のネパールは、キリスト教を信仰することは許されていましたが、宣教することは禁止でした。それでも各国から宣教師の方々が多くいらっしゃっていました。
首都カトマンズ郊外にある比較的大きな教会の礼拝に出席したときのことです。礼拝が終わりに近づき、聖餐式になりました。洗礼を受けている人は前に出て座り、洗礼を受けていない方は教会の外に出ます。聖餐式は、葡萄酒をたっぷり入れたカップを前から順に回し飲みします。
前の列に、ちらほらとハンセン氏病で手やお顔の傷ついた方々が見受けられます。私の2つ右の方はより症状が重そうです。
『おい、おい、大変なところへ来た。』『話が違う。』式に参加しないで外に出ていった方々の方を見ますと、陽ざしを一杯に浴びながら楽しそうです。
『そっちへ行きたい!』と思いますが、身体が動きません。心にもブレーキがかかっています。決心がつきかねている間にもカップは近づいて来ます。飲まれる方の口元を凝視していました。傷ついた両手でカップをしっかり握っている。右端の鼻から下がむき出しの方も口を付けた。その口を付けた場所を外そう。いや、他の人がそこらじゅうに口を付けているから無駄だ。頭の中はクルクル空回り。沢山の口が付けられたたカップが目の前に差し出されました。
金曜日に訪れたハンセン氏病の病棟で、小さな体の日本人の看護師さんが、二段ベッドの上に横になっている一人の患者さんを指して「畑が忙しい時期になると病院を脱走するのですよ。しばらくして帰ってきた時は、身体が膿で一杯になっています。その膿を手でさすりながら取り除くのです。健康な私にはうつりませんから。」とおっしゃっていたのを思い出し、「私は健康だ」と納得させて、カップに口を付け、喉がゴクリと音を立てました。
この時、私の超緊張した姿を見て「あなたはいいですよ」と、とばしてくれていたらどうだったでしょうか。「私はいやいいです。飲みます」とは言わなかったと思います。その後で、自分の醜さに恥じ入っていたと思います。その記憶が、烙印が皮膚を焦がすような臭いとともに蘇ってきました。
宣教が禁止の国で、聖餐式を受けるために前に出るのは、新しい信者がいるかどうかを監視する政府のシステムの一環だったかもしれません。新しい人がいれば罰します。その方に布教した方も罰せられます。生活をかけて信じている。その覚悟ができている方だけが前に出ていらっしゃる。私のような興味本位で参加している者とは格が違います。
30数年間この記憶に蓋をしたままでいました。30数年間、一度も覚悟を決めることなく聖餐式に臨んでいたのです。なぜ今頃このような形で、カップのように目の前に突き出されたのでしょうか。蘇った苦い記憶が、これからの私に強い覚悟と、神様に信頼しきる信仰を促しているようです。
「ニシヤマよ」という神様の呼びかけに、『はいっ』と立ち続けるものでありなさいと。そう聞こえます。