おはようございます。松山教会の久保浩文です。
7月に入り、本格的な夏が始まりました。子供たちにとっては、待ちに待った夏休みが目前となり、いろいろと休み中の計画を立てていることでしょう。
私も子供の頃、普段行くことのできない海や山、行楽地に連れて行ってもらうことを楽しみにしていたことを思い出します。特に家族で泊りがけの旅行に行く前の夜などは、着替えをバッグに詰めながら、途中で何をしようか、向こうに着いたら何をしようか、と興奮してなかなか寝付けなかったものです。
最近は、旅行のガイドブックや、スマホなどのウェブサイトで観光スポットやおすすめグルメなどの情報を出発前にチェックしてから出かける人がほとんどです。それは、出発前にあらかじめ情報を得ておくことで、時間のロスもなくスムーズに、いわゆる「お勧めスポット」を見逃さずに旅を楽しむことができるからでしょう。
しかし、出発前にチェックすべき一番の情報は、目的地までの正確な経路でしょう。最近は、カーナビなどという便利なものもありますが、あれも場所によっては、あてにならない時があると聞きます。初めての道を安全に順調に目的地に到着できたら、まずはほっと一安心です。
私たちの人生も、いわば旅行にたとえることができます。旅の目的地は、あらかじめ神が備えてくださっている天の御国です。その道筋は一人ひとり違います。悩みのない人生などありませんが、どこで悩むか、何に悩むかは人それぞれです。万人共通の人生ガイドなど望めそうにありません。
しかし、イエス・キリストは「わたしは道であり、真理であり、命である。わたしを通らなければ、だれも父のもとに行くことができない。」と言われました。イエス・キリストは、私たちの人生の旅の唯一かつ最高のナビゲーターであり、天国という目的地へと向かう水先案内人です。私たちが、それぞれいろいろなところでつまずき、倒れたとしても、イエス・キリストは、その一人一人を間違いなく目的地、父なる神のいます天の御国へと導いてくださるのです。
かつて信仰の父と呼ばれたアブラハムと妻サラも「わたしの示す地に行きなさい」との神の御言葉に従い、行く先もわからないまま旅に出ました。アブラハムはその時75歳、すでに多くの財産をもち、一族郎党を率いていました。生まれた土地であり、根を下ろしてきた土地を離れ、旅立つのは大きな決断であったはずです。
しかし彼、アブラハムは、神が導いてくださる新しい土地で、「大いなる国民とし、祝福の源とする」という神の約束を固く信じて旅立ち、多くの困難に遭遇しながらも、信仰の生涯を全うしました。神の約束の通り、彼は神の約束の民の先祖となりました。後にイエス・キリストは、「金持ちとラザロ」というたとえ話(ルカ16:19-31)の中で、アブラハムが天国の宴の席にいると語られています。
私たちは、自覚するとせざるとにかかわらず、一年ごとに年を重ね、人生の終盤へと向かって旅を続けています。それは、ただ年齢とともに肉体的にも精神的にも老いと衰えを感じながら日々を過ごすのではありません。神の約束を信じ、イエス・キリストと共に歩む道は、天の御国へと通じる希望の道なのです。