おはようございます。高知教会の古口初穂です。私はいま清和女子中高等学校で国語の教員をしています。出身は岡山で、2013年4月の就職を機に高知へやってきました。今日は私が救われて信仰をもち、高知で就職するに至るまでのことをお話ししたいと思います。
私の両親は二人ともクリスチャンで、私が小さい時に亡くなった祖父は牧師でした。私は物心つく前から教会に通い、聖書のお話しを聞いていたため、神様がいるということや神様が世界を創って治めておられるということを疑いなく受け入れて育ちました。でも中学・高校へあがると、毎週教会へ行くことを面倒に感じることもありました。私にとって、神様とは知識として学んだことであって、実感を伴うものではなかったのかもしれません。また、クリスチャンになることへの抵抗も感じていました。クリスチャンになるしかないような家庭に生まれたせいで自分の生き方が決められているように感じ、何もかも神様の思い通りにはさせないぞと思っていました。
そんな反抗心をもったまま大学生になった私は、キリスト者学生会というクリスチャンの大学生の集まりに関わるようになりました。キリスト者学生会はプロテスタントの信仰を持つ学生たちが、学校生活と信仰生活を切り離すのではなく、神様からその学校へ派遣されているのだと考え、学校の中で友達と聖書を読み、生活の全体を通して神様を証しすることを目的に活動をしています。
3年に一度行われる全国集会には、全国から400人ほどの学生が集まります。その全国集会で、私はあるみことばに出会いました。
エレミヤ書29章11節のみことばです。「わたしは、あなたたちのために立てた計画をよく心に留めている、と主は言われる。それは平和の計画であって、災いの計画ではない。将来と希望を与えるものである。」
この言葉を聞いてはっとしました。「神様の思い通りにはさせない」と思っていましたが、その神様の計画は私のために特別に立てられ神様が心に留めてくださっている計画で、しかも、災いではなく希望と将来を与えると約束された、愛にあふれた計画なのだということが分かりました。
クリスチャンの家庭に生まれたせいでクリスチャンにならざるを得ないのではなく、クリスチャンの家庭に生まれたおかげで救いへの道を神様が確実にしてくださったのだと、神様の計画を素直に受け入れられるようになりました。クリスチャンの家庭に生まれなくても神様を受け入れて信仰をもつ人はたくさんいますが、私はかたくなで、おそらくその方法ではだめだったのだろうと思います。クリスチャンの家庭に生まれさせてまで絶対私を離さないと言ってくださる神様に、私の人生を委ねてみようと、大学2年生のときに決心しました。
いま高知で働いていることも神様のご計画のうちの一つだと信じています。高知へ来ることも、ミッションスクールで働くことも、大学2年生の時点では思ってもいないことでした。大学4年生の夏、岡山で就職することがほとんど決まっていましたが、意外なつながりで清和学園を紹介され、ミッションスクールで働く道が開かれました。地元を離れることやずっと通っていた教会を離れることはすぐに決心のつくことではなく、とても悩みました。でも、神様の計画に従う先にあるのは災いではなく希望と将来だという、あのみことばがわたしを後押ししてくれました。
高知へ来てみると、新生活に必要なものは、物も場所も出会いも、すべて神様が備えていてくださいました。就職という人生の転機を通して、神様はご自分が信頼に足る方なのだということを改めて教えてくださいました。
人生を歩む上で私には分からないことがたくさんあるけれど、信頼できる最高のプランナーである神様がいてくださるので、私は余計な心配はせずにお任せすることにしています。だから、これから先、神様が私にどんな計画を用意されているのかとても楽しみです。