おはようございます。清和学園宗教主任の中山仰です。
白鳥には国境線が見えるようです。ロシアと日本の間の海には国境線が引かれています。もちろん私たち人間の目には見えません。地図の上だけです。でも明らかに白鳥には見えるようです。というのは、それまで緊張し切った様子で飛んでいたのに、国境を越えて日本の領海に入ると、白鳥が安心した様子で飛び始めます。それには裏があって、ロシアではラムサール条約を批准していないために、白鳥を獲ることは禁じられていません。命の危険が伴います。ところが日本領内では白鳥の保護が命じられています。白鳥は国境を肌で感じているのですね。
片や海の中を見ると一転して、日本の領内で魚は緊張して泳いでいます。国境から北のロシア領では、比較的悠然と泳いでいるようです。日本は魚を大量に捕獲しますから、当然かもしれません。魚だって仲間が大量にいなくなって、その後に死骸が累々と横たわっていたらどんな思いを抱くでしょうか。
これらは人間の欲望による国境線と言ってよいかもしれません。意識的に国境を引いて区別する、政治的、民族主義的、多分に利益中心主義によります。
三浦綾子さんの『海嶺』という著書の内容は、まさに目に見えない海の国境線のために、日本人でありながら拒否され、帰国できなかった3人の主人公の話が書かれています。江戸時代に尾張から江戸へ年貢米を運搬する船が台風で難破して、3か月ほどでアメリカの西海岸に漂着した時に、最後に生き残った3人が救出されます。何年かの後に西回りで、宣教師のギュツラフのヨハネによる福音書の翻訳を手伝いながら、帰国する日を待ちわびています。その機会がやっと巡り来て日本に帰国しようとしますが、時は鎖国時代、3人はとっくの昔に死んだことにされていて、そんな人物は受け入れられないということで銃で追い払われてしまいます。祖国を前にして、愛する家族や兄弟がいるにもかかわらず、時の政府は知らぬ存ぜぬで追い払ってしまいます。その時その3人は、祖国を追い払われ国籍がなくなります。 そのように目に見えない海の国境を「海嶺」と三浦綾子さんは名づけたのです。
これと同じように、私たちの国籍は天にあります。神に創られたのですから、神の子です。ところが神に背き、罪を犯したため天に入れないものとなってしまいました。私たちの罪が神の国の間に垣根を作ってしまったのです。私たちの罪により、神なんかいない。神がいるなら戦争や災害、飢饉や貧困をなくせなどと勝手なことを言っているのは、みな私たち罪人の勝手です。父なる神は私たちを省み、決して見捨てることはありません。常に救いの手を差し伸べてくださっています。
神は、イスラエルという民族を選びますが、彼らと結ばれた約束は全世界の民に及びます。時満ちて、慈しみに満ちた天の父は、私たちを憐れみ、独り子イエス・キリストをこの世にお送りくださいました。天から来られた方が全く私たち人間と同じ姿を取ってくださり、父なる神と私たちとの中垣を取り払うために十字架についてくださったのです。このことは聖書に神の約束の言葉として記されています。
私たちはこの神の約束の言葉を信じて、罪の為にできた中垣を取り除くことができる方は、ただ一人神から遣わされたイエス・キリスト以外にないと感謝して従うことです。その時、私たちが神の子であること、国籍は天にあるものとして祝福してくださいます。