ごきげんいかがですか。綱島教会の川杉安美です。
新約聖書の最初に、イエス・キリストの系図が記されています。その系図はこう書き始められています。「アブラハムの子ダビデの子、イエス・キリストの系図」。
どうして、簡単に「イエス・キリストの系図」と言わないのでしょうか。「アブラハムの子ダビデの子」というのはどういう意味でしょうか。
実は、普通の系図で示されるように、イエス・キリストはこういう血筋のもとに生まれたのだ、ということを言いたいのではないのです。
アブラハムというのは、ユダヤ民族の先祖で、4000年以上も前の人です。この人に神様は、あなたの子孫によって世の人々が祝福されると約束してくださいました。
一方ダビデは3000年以上も前のイスラエル王国の王です。そのダビデに神様は、あなたの子孫から救い主が生まれることを約束してくださいました。
そのようにアブラハムに約束したことが、そしてダビデに約束したことが、確かに実現したのだ、そうしてイエス・キリストが誕生したのだということを、その系図は言っているわけです。
アブラハムからダビデに至るまで、またダビデからイエス・キリストに至るまで、その歴史を見ると実に紆余曲折があります。時には、神様は本当に働いているのか、神様はいるのか、約束はどうなってしまったのか、などと思ってしまうような状況もありました。しかし、確かに神様は働いておられ、約束を実現されたのだというのが、その系図の示していることです。
イエス・キリストの誕生というのは、そのように神様の約束が実現したことを示しているのです。神様は確かに歴史の中で、生きて働いておられるのです。イエス・キリストの誕生によってそれを信じるように招かれるのです。