皆さんお元気にお過ごしですか。私は茨城県、つくば市東、谷田部東中斜め向かい、筑波みことば教会牧師の小堀昇です。運転中の皆さん、セイフティドライブでお出かけください。お出かけ前の皆さん、入院をされて回診を待っておられる皆さん、朝のお忙しいひと時だと思います。でも少し、お耳を傾けて頂けませんか。
さて皆さんなら、大切な友達の赤ちゃんに、何をプレゼントされますか?かわいい洋服、おもちゃ、アルバムでしょうか。
幼いイエスのもとに、学者が、贈り物を持って、東の国からやってきたのです。
「彼らはひれ伏して幼子を拝み、宝の箱を開けて、黄金、乳香、没薬を贈り物として献げた」
マタイによる福音書の2章で聖書は言っています(2:11)。
プレゼントの中身は、黄金、乳香、没薬でした。黄金は、王様に献げる物ですが、乳香、没薬は遺体に塗る香料です。遠路はるばるやって来て、幼いイエスを拝み、遺体に塗る香料をプレゼントする。これは、おかしな光景です。
しかしここに、大切なメッセージが隠されています。私たちは皆、いつか必ず死ななければなりません。
「どうせ、いつか死ぬのに、なんで勉強なんかしなきゃならないの?」思春期を迎えた頃、両親に言ったことがあります。「何をやったって、どうせ負け戦ではないか。」そんな思いがあったのです。
しかし聖書は次のように語ります。「神は、その独り子(イエス)をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。」ヨハネによる福音書の3章16節です。
イエスは、私たちの犯した罪の裁きを、身代わりに引き受けて死に、死に打ち勝ってよみがえり、信じる私たちに永遠の命を与えて下さいました。そのために、このクリスマスに生まれてくださったのです。