皆さんお元気にお過ごしですか。私は茨城県、つくば市東、谷田部東中斜め向かい筑波みことば教会牧師の小堀昇です。運転中の皆さん、セイフティドライブでお出かけください。お出かけ前の皆さん、また入院中、回診前の皆さん、朝のお忙しいひと時です。少しお耳を傾けて頂けませんか。
クリスマスが近づいてきました。イエス・キリストのお誕生をお祝いする季節です。天地万物を造られた神の独り子イエスは、なぜ人として生まれたのでしょうか。聖書にこう書かれています。
イエスは…言われた。「医者を必要とするのは、丈夫な人ではなく病人である。わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招くためである」。
マルコによる福音書の2章で聖書は語ります(2:17)。
「わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招くためである」。ここには正しい人と、罪人しか登場しないのです。あなたはご自分を、どちらだと思いますか?
正しい人とまではいかないけれど、罪人とまで言われる、そんな筋合いはない。そんな気持ちになる言葉です。
日本語で「罪」と訳されている言葉は、本来は「的外れ」を意味しています。私たちはどこか、的を外して生きているのです。
私たちを造ってくださった神様がいる。けれども私たちはそれを認めない。神様は私たちを、かけがえのない者として愛してくださっている。けれど、自分で自分を否定してしまう。身近な人たちを大切にしたい。でも、我儘な振る舞いをしてしまう。
こう考えると、確かに私たちは病める人であり、的外れにしか生きていない。そんな者であるかもしれません。
「わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招くためにきたのである」
温かいこのイエスさまの招きに応えて、ご一緒に今日も歩んでまいりましょう。
どうぞあなたも、イエスさまを信じて、歩んでください。