ご機嫌いかがですか、千葉県八千代市にあります勝田台教会の牧師をしております坂井孝宏と申します。
最近私は、急速に白髪が増えてきて、年をとったものだなと悲しくなりますが、そんなことを言っておりますと、教会のご年配の方々にいつも怒られます。ましてや、若い方々や幼い子どもたちには、年を取っていく悲しさなんていうのは分からないでしょう。
先日、尊敬する引退牧師を通して、「老いていく心細さ」ということを学びました。
平坦な道であっても、大冒険なんだと。恐怖に満ちているんだよと。階段がある。階段の上りはもう壁のように見えるんだと、下りは崖のようなんだと…。昨日までできていたことができなくなっていく…。覚えられない、名前が出てこない。いろんな情報が入ってこない…。自分の存在が軽んじられているという、そういう寂しさがある…。
一番印象的だったのは、「明けない夜はない、やまない雨がない」なんて若い時は言うけれど、そんなふうにはとても思えない。「明日もまた暗い、明日もまた雨」と思ってしまう…。
老人じゃなくても、そんな風に思ってしまう方もいらっしゃるかもしれません。そういう心細さ、だれからも必要とされていないかのような寂しさ。でもそういうあなたを、どこまでも背負っていくと言ってくださる神様がいます。
「わたしはあなたたちの老いる日まで、白髪になるまで、背負って行こう(イザヤ46:4)」と。
白髪になるまで、いや、白髪になってもだと翻訳する人もいます。そういう翻訳が可能です。白髪になっても、むしろそこからこそ、私はあなたを背負っていくと、父なる神は言ってくださいます。