いかがお過ごしでしょうか、国立聖書教会の野島邦夫です。
今週は、「人間は天使か悪魔か?」という問いに答えるかたちで、私たちの心について考えています。
この世を見渡しても、自分の心を少し探ってみても、人間は元々悪魔的ではないかと思える節があり、同時に元々天使的ではないかと思える節もあります。
実際に存在する人間のこの両面を、古くから、哲学者たちは様々に説明して来ました。
古代ギリシャのプラトンは、永遠の世界につながる霊魂が身体という牢獄に繋がれているのが生きている人間だと考えました。つまり、人間は善である霊魂と悪である身体から成る―これも一つの見解です。
古代中国の性善説と性悪説の対立はよく知られています。性善説とは、人間の本性は善でありそれが欲で覆われると悪をなすという説です。性悪説はそれに反対する立場で、人間の本性は悪・弱さであり善は表面的に見えるものに過ぎないと主張します。
両方とも今も耳にしますが、特に性悪説は進化論的考えと結び付けられてよく用いられます。例えば、元々人間は自己中心的で他人と競合的だが、集団生活をするようになって、自分が害されないために他人を害しないというルールができた。これらから道徳・法が発展して行ったと。
これで納得できますか?私には、これらはあまりにも単純化しており、大きな欠けがあるように思えます。もう少し考えて行きましょう。