いかがお過ごしですか。新座志木教会の杉山です。
旧約聖書の創世記では、神様が天地を造られたと書いてあります。そこで、最初の地上の様子が「混沌」という言葉によって示されています。地上は「形がなく」「荒涼としていた」ようです。
更にここでは、闇、そして深淵という言葉も登場します。そこは光も届かず、どろどろとした水の中のような光景です。
この原初の地上世界は決してやさしいものではなく、むしろ、そこにあるのは圧倒的な混乱であって、どのような生き物もそこに住むことができない世界が、どこまでも、ただ漠然と広がっていたのです。
そして、もちろん、それは神様が望まれた世界ではありません。けれども、全く確かなこととして、この世界には、このような混沌と空虚、闇と深淵の力が存在しているということです。そしてそれは何も、この時の地上の状態だけを指しているのではないように思えます。私たちの世界は、この闇の力、闇の諸力というもの、混沌の力、命を認めない力、命を飲み込む力から今でも無縁ではありません。
しかしそこでなお、このところで描かれております一つの言葉に注目したいのです。それは、「神の霊が水の面を動いていた」という言葉です。あの最初の混沌から神様がおられた、ということがここで語られております。
どれほど混乱があったとしても、そこに神様はいてくださいます。