ごきげんいかがですか。東川口教会の櫻井良一です。
あるとき教会で「自分が神様の御心にふさわしい生活をしているのかどうか、どこで判断できるだろうか」という話題について話し合ったことがあります。そこである人は「何かをして成功したら、それは神様の御心であると信じ、失敗すれば、神様の御心ではなかったと信じます」と語ります。
するとこの答えを聞いた別の人が「その時は失敗だったと思ったことが、後になって、あの失敗があったからこそ、もっと素晴らしい神様の祝福を受けることができたと言うこともある」と語り出したのです。つまり、たとえそれが自分にとって不都合な失敗であったとしても、後になってその評価が変ってしまうことがあり得ると言うのです。
確かに神様は私たちの人生に成功を与えることで私たちを祝福して下さることがあります。また、その逆に失敗することを通して私たちを新たな祝福に導いてくださることがあるのです。そうなると私たちの人生で起こる失敗も成功もどちらも神様の御心であると言うことになります。そのような意味で、私たちの人生に起こる出来事のすべては、成功も失敗も皆、神様が私たちを祝福に導くために与えられるものだと言えるのです。
聖書の中で語られている「万事が益となるように共に働く」と言う言葉はこのような神様の御業を教えているのです。
聖書の言葉
「神を愛する者たち、つまり、御計画に従って召された者たちには、万事が益となるように共に働くということを、わたしたちは知っています。」ローマの信徒への手紙8章28節