いかがお過ごしでしょうか。東京練馬の光が丘にあります東洋宣教教会で牧師をしております、尾崎純と申します。
ユダヤ人の精神科医で、ナチスのアウシュビッツの強制収容所にも入っていたヴィクトール・フランクルという人が、こんなことを言っています。「小さなことが気になるのは、『自分は神のように完全であるべきだ』と思いこんでいるからだ」。
私たちはあまりにも、小さなことを気にしすぎているのではないでしょうか。それはある意味で、自分で自分を神にすることです。神の立場に自分を置くことです。
けれども、神が完全であるのは、小さなことまですべて自分の思い通りにしようとすることにおいてではありません。「あなたがたの天の父が完全であられるように、あなたがたも完全な者となりなさい」(マタイによる福音書5章48節)というキリストの言葉がありますが、「完全になりなさい」というこの言葉は、「敵を愛しなさい」という文脈で言われているのです。愛することにおいて、神は完全なのです。だからこそ、敵をも愛しうるのです。神が完全であるのは、敵をも愛するその愛においてです。
そして、私たちはそうすることができない不完全な存在だから、小さなことすらも気になってしかたがないのです。
だからこそ、もう一度言いましょう。「あなたがたの天の父が愛することにおいて完全であられるように、あなたがたも愛することにおいて完全な者となりなさい」。神のように完全であるとは、そういうことです。