いかがお過ごしでしょうか。東京練馬の光が丘にあります東洋宣教教会で牧師をしております、尾崎純と申します。
こんな話を聞いたことがあります。「山中を旅していた修道士が宝石を見つけ、それをカバンにしまった。翌日、彼がお腹をすかせた旅人に会うと、カバンを開けて食べ物を分けてやった。旅人は、修道士のカバンの中にある宝石を見てすっかり魅せられてしまい、修道士にそれをくれるように頼んだ。すると修道士は、なんのためらいもなく、それを彼に上げた。旅人は大喜びしながら去っていったが、数日後、修道士を探して戻ってきた。そして、宝石を返しながらこう言った。『この宝石を、私に平気で与えることができるような、あなたの中にある素晴しいものを、できれば私にお与えください』」。
ほんとうは、この旅人はもう、修道士の中にある素晴らしいものを、半分は自分のものにしています。宝石を自分から手放したという点で、そして、宝石よりも大事なものがあることを知ったという点で、彼は、カバンの中にあるものを何でも与える修道士と同じです。けれどもこれは、楽なことではなかったでしょう。何しろ、それまでの自分を否定しなければならないのですから。
戻ってきた旅人に対して、修道士は何と言ったでしょうか。いろいろと想像してみることもできますが、キリストの言葉で締めくくりましょう。「あなたがたは地上に富を積んではならない。(…)富は、天に積みなさい。(…)あなたの富のあるところに、あなたの心もあるのだ」(マタイによる福音書6:19-21)。