いかがお過ごしですか。新座志木教会の杉山昌樹です。
ある日、主イエスは弟子たちとともに歩きながら質問しました。「今まで何を話していたのですか」。すると弟子たちは、黙ってしまいました。なぜなら、少し前、主イエスに「私に従いたいものは、自分を捨て、自分の十字架を背負って、私に従いなさい」と教えられていたにもかかわらず、道々、誰が一番偉いのかと議論をしていたからでした。
ここではっきりとしますのは、弟子たちは、主イエスの語られましたお言葉の理屈はよくわかっていたにもかかわらず、それに全く納得していなかったという事です。
弟子たちは「自分を捨て」という言葉を聞いた後で、あからさまに出世欲をむき出しにしていがみ合っていることが、とてもかっこ悪いという事はわかっていました。ですから黙るしかありません。しかし、素直に「自分を捨てる」という事を理解することもできないのでした。
そこで、主イエスは、子どもを弟子たちの前に立たせて言われました。「私の名のためにこのような子どもを受け入れる者は、私を受け入れるのである」。
当時、子どもは、全く低く見られ、取るに足りないものとみなされていました。しかし、主イエスは子どもの手を取って抱き上げ、ご自身が子どものようなものだ、という事を示されました。それは、弟子たちに、互いを受け入れあうことを教えるためでした。そして、そこにこそ、神様を受け入れる道があることを示されました。