いかがお過ごしですか。新座志木教会の杉山昌樹です。
私たちは、霊的なことですとか、奇跡といったことについて、最初から疑ってかかるところがあります。けれども、それは、今に始まったことではないようです。
主イエスは弟子たちに、ある時、汚れた霊に対する権能を授けました。それから少したって、悪霊に取りつかれた子どもを持つ親から、悪い霊を追い出してくださいと頼まれましたときに、うまく追い出すことができませんでした。それを聞いた主イエスは「なんと信仰のない時代なのか」と言われました。
では、この場合の「信仰」とは何でしょうか。どんな不思議なことでも出来るとがむしゃらに信じることでしょうか。そうではないのだと思います。主イエスは弟子たちに「なぜ私たちは駄目だったのでしょう」と尋ねられましたときに、このように答えられました。「この種のものは祈りによらなければけっして追い出すことは出来ないのだ」。
ここで問題となっておりますのは「祈り」です。それも、主イエスが父と呼びかける、聖書に示された神様への祈りです。そして、神様に祈る、ということは、神様の存在を疑っていない、ということです。
私たちは、人間は何でもできると信じているところがありますが、神様が力ある方だと信じることがなかなかできないのかもしれません。その意味で、私たちの時代もまた「信仰がない」のかもしれません。
けれども、まずは祈ることから始めたいのです。