おはようございます。仙台教会の風間義信です。
新しい年を迎え、半月が過ぎ去りました。どのような毎日でしたでしょうか。この新しいと言う言葉はどこか良い響きを心の中に与える感じがします。けれども、時間がたってしまいますと、その新しさはなくなり、たちまち古くなってしまうでしょう。
イエス・キリストが初めてお話をされた時、次のような反応が起こりました。「人々は皆驚いて論じ合った。『これはいったいどういうことなのだ。権威ある新しい教えだ。』」(マルコ1:27)
この新しい教えに対する驚きは、時が過ぎれば古くなってしまうものではなく、これまでのものとは全然種類が違う、質が違う新しさへのものです。いったいどのように新しかったのかと言えば、イエス・キリストの語る教えは、神の言葉そのものだったために、全く新しいものだったのです。神の言葉を伝えた人は他にもおりますが、神の言葉そのものを権威をもって、御自分の言葉として語られたのは、イエス・キリストだけです。
ですから、イエス・キリストの言葉はこの世にあるたくさんの教えの中の一つではありません。私たちの人生を根底から支え、私たちを生まれ変わらせる、全く新しい教えとして私たちに迫ってくるものなのです。