ご機嫌いかがですか。キリスト改革派教会がお送りする「聖書を開こう」の時間です。今週もご一緒に聖書のみことばを味わいましょう。この時間は、キリスト改革派教会牧師の山下正雄が担当いたします。どうぞよろしくお願いします。
高校生時代のことですが、わたしは学級委員をしたことがあります。学級委員というと、とても聞こえがいいですが、学級委員に選ばれると言うことは、実際にはそれほど大したことではありませんでした。小学生の頃の学級委員といえば、クラスの人気者でしたが、高校生ぐらいになると、学級委員の大変さをみんな知っていますので、とにかく選挙の時となると、みんなの押し付け合いが始ります。そんな中で選ばれたのですから、クラスの信望や人気とはおおよそ関係のない学級委員の誕生です。
何かとクラスの意見を取りまとめることが求められた学級委員ですが、もともと信頼のない学級委員の誕生ですから、クラスを取りまとめるのは至難の業でした。クラスと先生の間にはさまれて苦しい思いをすると言うこと、そんなことはしょっちゅうです。もともと、学級委員を選ぶ時にも、みんなの心はばらばらだったのですから、まとまる方が不思議なくらいです。けれどもその反対に、クラスが一致団結した時には、これほどうれしいと感じることはありませんでした。クラスをまとめると言うことは、リーダーが生まれ持っているキャラクターによるところもあるかもしれませんが、それ以上に日ごろの積み重ねで信頼を勝ち取っていくという面も大きいと思います。
これは、学級委員に限らず、リーダーと呼ばれる立場にいる人なら、誰もが一度は経験することだと思います。集団をどう纏め上げて行くか、と言う苦労、そして、一致団結できた時のうれしさ、この喜びがあるからこそ、リーダーであることを続けて行くことができるのかもしれません。
もっとも、集団をどうまとめて行くのか、ということはとても大きな問題です。人はときどき、力ずくで一致を図ろうとするからです。力ずくでまとめることは、簡単にできますが、それは、集団の内側から出てきたものではないので、力のたががゆるんだとき、ばらばらになってしまいします。見かけだけのまとまりでは意味がありません。
さて、きょうお読みする個所には、良い羊飼いとしての主イエスのリーダーシップの秘訣が記されています。イエス・キリストは、どうやって群れを纏め上げようとなさっていらっしゃるのか、早速読んでみることにしましょう。
それでは今日の聖書の個所をお読みします。きょうの聖書の個所は新約聖書 ヨハネによる福音書 10章14〜19節までです。新共同訳聖書でお読みいたします。
「わたしは良い羊飼いである」とイエス・キリストはおっしゃいます。良い羊飼いとしてのキリストについては、先週も少しお話しました。今、ご一緒に学んでいる個所には、偽物のリーダーたちに対して、ご自分こそが本当のリーダーであると言うことを主張されるイエス・キリストのお言葉が記されています。「わたしは良い羊飼いである。わたしは自分の羊を知っており、羊もわたしを知っている。それは、父がわたしを知っておられ、わたしが父を知っているのと同じである。わたしは羊のために命を捨てる。わたしには、この囲いに入っていないほかの羊もいる。その羊をも導かなければならない。その羊もわたしの声を聞き分ける。こうして、羊は一人の羊飼いに導かれ、一つの群れになる。わたしは命を、再び受けるために、捨てる。それゆえ、父はわたしを愛してくださる。だれもわたしから命を奪い取ることはできない。わたしは自分でそれを捨てる。わたしは命を捨てることもでき、それを再び受けることもできる。これは、わたしが父から受けた掟である。」