熊田なみ子のほほえみトーク 2014年9月23日(火)放送

熊田 なみ子(スタッフ)

熊田 なみ子(スタッフ)

小さな朗読会181「分裂した王国」
(「母と子の聖書旧約下」79章)

 イスラエルを偶像礼拝に導いたヤラベアムは長い間治めました。ある日、金の子牛礼拝のために自分がつくった異教の祭壇のそばに立っていると、ユダの国から主に遣わされた預言者がやってきました。
 預言者は、いつかダビデの家にヨシヤという王が生まれること、その王がヤラベアムのつくったこの祭壇の祭司たちを殺し、祭壇を壊すといいました。
 この預言は300年後に成就しました。ダビデの血筋で、ヨシヤという王が、ほんとうに国中をまわって異教の祭壇を壊していきました。

 ヤラベアムは、この預言に多少動揺したのかもしれません。それからまもなく、彼の息子が大病にかかり、死にそうに見えました。ところが、ヤラベアムは金の子牛のところに行きませんでした。子牛に、子供を治してくれ、と祈りませんでした。彼は、イスラエルの民が礼拝するものとして、この子牛をつくったのですが、自分自身は信じていなかったのです。
 ヤラベアムは妻に、だれにも、王の妻であることがわからないように、普通の女の人のような着物をきて、預言者アヒヤのところに行き、子供が生きるか死ぬか、聞いてくるようにいいつけました。
 アヒヤというのは、自分の新しい着物を12に裂き、ヤラベアムにそのうち10切れをわたして、ヤラベアムがイスラエルの王になることを預言した預言者です。アヒヤはすでに非常に年をとり、ほとんど目も見えなくなっていました。けれども、神さまは、だれがたずねてくるかまたその人になんというべきかをお教えになりました。

 ヤラベアムの妻が戸口までくると、年老いた預言者は、「ヤラベアムの妻よ、入りなさい。わたしはあなたにきびしいことを告げよう。主はイスラエルの王としてヤラベアムをおこし、ダビデの家から国を裂かれた。しかし、ヤラベアムは、先にいたすべての者にまさって悪をなし、異教の神々をつくり主を捨て去った。だから、ヤラベアムはこのために神に罰せられる。病んでいる子どもは死んで葬られます。あなたの家のもので、葬られるのはその子だけでしょう。ヤラベアムに属する者は町で死ぬものは犬に食べられ、野で死ぬものは空の鳥に食べられるでしょう。主はまもなく、ヤラベアムの家を断つひとりの王をおこされる。主は、偶像礼拝のためにその民イスラエルを罰せられます。彼は、イスラエルをこのよい地から抜き去って、ユフラテ川の向こうに散らされるでしょう。あなたは立って、家へ帰りなさい。あなたの足が町にはいるときに、子どもは死にます。」

 ヤラベアムの妻は、この恐ろしい知らせを、罪深い夫に聞かせるため、家に帰りました。彼女が町にはいると、子は死にました。彼は葬られ、全イスラエルはそのために嘆きました。
 息子の死後まもなく、ヤラベアムも死にました。その父と同じように悪を働いていた息子のナダブが王になりました。
 ナダブは、わずか2年だけ王となりました。そのあと、バアシャという人がナダブを殺して自分でイスラエルの王になりました。彼は偶像や金の子牛礼拝をそのまま続けさせました。バアシャは、神さまが預言者にいわれたとおりに、ヤラベアムの家の男子をみな殺しました。これが多くの罪をおかしたヤラベアムへの罰でした。

 バアシャはよい王ではありませんでした。彼は、統治の初めから、ヤラベアムの一家をみな殺しにしてしまいました。彼は偶像礼拝と子牛礼拝をそのまま続け、ヤラベアムのように、イスラエルの民にもその礼拝をしいました。イスラエルにいた善良な人たちが、こんな悪事の平然と行われている国にいたくなかったのは、無理もありません。
 バアシャは、神さまをおそれる人たちがイスラエルからユダに移住するのを防ごうとしました。彼は、イスラエルとユダの国境にある町々を要塞にし、民がイスラエルを離れないように、そこに兵隊を配置しようとしましたが成功しませんでした。

 神さまは、この王の悪辣さと偶像礼拝を怒りました。預言者をつかわして、バアシャがヤラベアムのしたように、イスラエルに罪をおかさせたので、神もヤラベアムを罰したように、バアシャを罰すると、告げました。バアシャの家のもので町で死ぬものは犬に食べられ、野で死ぬものは、はげたかに食べられるでしょう。
 この預言のあと、まもなく、バアシャは死に、その子エラがイスラエルの王になりました。
 この間中、善王アサがユダを治めていました。彼は見つけ次第、すべての偶像をこわし、ユダの人々に、主を礼拝するように命令しました。
 10年間というもの、ユダには戦争がありませんでした。アサ王は、戦争が起こった場合にそなえて、たくさんの町々のまわりに、高い石の城壁をつくりました。防備のため、大勢の兵隊を訓練しました。

 10年間、平和のうちにアサは国を治めました。そのころ、エジプトの南にあるアフリカの一国家エチオピヤから100万の黒人の大軍がやってきました。
 アサ王は、自分の訓練された兵を頼りにしたでしょうか。いいえ、違います。彼は主に助けを求めました。神さまはアサの祈りにこたえ、王とその軍に大勝利を与えられました。
 エチオピヤ人は逃げる際、その天幕によいものをいっぱい残していったので、ユダの人々はそれを自分たちのものにしました。牛、羊、ラクダもおいていってしまいました。ユダの人々は、この戦いのおかげで、前よりも裕福になりました。そしてまた、平和が続きました。周囲の敵は、神の民に手だししないほうがよい、と悟ったのでした。

 主は善王アサに預言者をつかわし、アサが神さまを信じている限り、主はアサと共におられることを約束されました。アサはその統治の初めから正しいことをして、神さまを喜ばせようとしました。神さまがそのことをご存知で、喜んでいらっしゃること、そして、神さまがそのよい働きに報いてくださることを預言者から聞いて、アサは大そう励まされました。そこでアサ王は、もっと主のために尽くそうと考えました。
 彼は、ユダとベニヤミンの人々を招いて、野外集会を開きました。エフライム、マナセ、シメオンの部族からも大勢の人がやってきました。彼らはアサ王が神に仕え正しいことをしようとしている王で、神さまが彼を助けておられることを、見ていたのです。
 この大集会で、人々はたくさんのいけにえをささげ、神さまを礼拝しました。そして、心をつくし、精神をつくして、先祖の神に仕えることを約束しました。

 みなは、ユダから偶像礼拝を根絶する決意をかため、神さまに仕えない人はみな殺すことを決めました。そして声を合わせて大声で神さまに仕えることを誓いました。そのとき、同時にラッパと角笛も吹きならされました。人々は、ほんとうにたのしく、喜んで、手をたたきました。彼らは、まことの神に仕えていたのです。そして、神さまの喜ばれることを自分がしているということほど、人を楽しくさせるものはありません。
 神さまは、ユダの民に平和を与え、どの国も戦いをいどんできませんでした。しかし、イスラエルでは、いろいろな悪いことが起ころうとしていました。神さまをおそれる人たちが、イスラエルに住みたがらないのも、無理のないことです。

 ヤラベアム王は死んでいました。その子のナダブも、父ヤラベアムに劣らない悪王であることを示したのでした。そして、わずか2年間治めただけでバアシャに殺されたのでした。バアシャは王だけでなく、悪いヤラベアムの家のものをみな殺してしまいました。
 バアシャも、治める権利などない悪い王でした。彼はまもなく死に、その子エラが王座につきました。エラもまた長生きしませんでした。彼も、イスラエルのほかの王のように、罪深い人でした。ある日、酔っているところに、家来のジムリがはいってきて、彼を暗殺し、自分で王になりました。
 ジムリは、バアシャがヤラベアムの家のものをみな殺したように、バアシャの親族をみな殺しました。ジムリは、自分が王位につくため、たくさんの殺人をしましたが、何の役にも立ちませんでした。彼が王だったのは、わずか一週間だけです。人々は、彼を王にしたくはありませんでした。彼らは、軍の長であるオムリを選びました。オムリは自分の兵をつれて、ジムリのいる王の町と戦いました。町が征服されたと聞いて、ジムリは自分の宮殿にはいり火をつけました。そして宮殿もろとも焼け死にました。

 こんどは、オムリがイスラエルの王になりました。彼は、今までイスラエルを治めたどの王よりも悪い王です。12年治めて死に、その子アハブが王になりました。
 アハブは父よりも、またまた悪い王でした。イスラエルの王でいちばん悪い王でした。その妻は偶像バアルの祭司であったシドンの異教の王の娘で、夫と同じほど悪い人でした。アハブは首都サマリヤに、バアルのための神殿をたてて異教のアシラ像もたてました。おきさきのイゼベルは、アシラのために400人の異教祭司をおき、アハブは偶像バアルの礼拝のために450人の祭司をおきました。
 それでも、イスラエルには、民を偶像礼拝から守ろうとした神の祭司たちが、まだ何人かいました。イゼベルは、まことの神のこれらの祭司を殺そうとしました。彼女は主をにくみ、イスラエルが異教国になるように、できるだけのことをして、主礼拝を根絶しようとしました。
 イゼベルの家臣に、オバデヤという大へんめずらしい人がいました。彼は王家の家つかさでした。イゼベルが、主の祭司を殺そうとしたとき、オバデヤは、100人の祭司をほら穴にかくして、自分のお金で養いました。

 この悪王と悪いきさきが王座にいたために、イスラエルの国は、ほとんど異教化してしまいました。神さまはほとんどの人に忘れられていました。そのころ、イスラエルの民が500年前に、神さまからしてはいけないと禁じられたことを、ある人がしてしまいました。
 みなさんは、エリコの壁がくずれて、町が焼かれたとき、神さまがヨシュアに、町を呪うように命じられたことを、おぼえていますか。ヨシュアはイスラエル人に「おおよそ立って、このエリコの町を再建する人は、主のまえに呪われるであろう。その礎をすえる人は長子を失いその門を建てる人は末の子を失うであろう」といったものです。
 500年のあいだ、イスラエルの民は、この言葉を守りました。しかしアハブ王のとき、ある人は無分別にもエリコの町を再建しました。彼が土台をおいたときに長男が死に、門をたてたとき、末の子が死にました。ヨシュアの預言したとおりでした。

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