おはようございます。南与力町教会の坂尾連太郎です。
マタイによる福音書1章にはイエス・キリストが誕生された次第が記されています。その誕生の仕方は非常に不思議なものでした。マリアが婚約者ヨセフと結婚する前に、すなわち彼と関係を持つ前に身ごもってしまうのです。どうしてそのようなことが起こったのでしょうか。聖書を読みますと「マリアの胎の子は聖霊によって宿った」と記されています。神様の霊、聖霊によってイエス・キリストはマリアの胎の中に宿ったのです。そして聖書を読みますと、そのように生まれるということはすでに旧約聖書において預言されていたことでもありました。その預言とは次のようなものです。
「見よ、おとめが身ごもって、男の子を産み その名をインマヌエルと呼ぶ。」
これはイザヤ書7章14節に記されている言葉です。イエス様がお生まれになる700年以上も前、イザヤという預言者を通して神様はこのような言葉を語っておられたのです。「見よ、おとめが身ごもって男の子を産み…」。このことが実現するために、イエス様はおとめ、すなわち処女であるマリアからお生まれになる必要があったのです。
そしてその男の子の名は「インマヌエル」と呼ばれると言われています。「インマヌエル」というのはヘブライ語で「神が我々と共におられる」という意味です。イエス・キリストはそのように呼ばれるお方としてお生まれになったのです。
しかし、なぜイエス様がお生まれになるずっと前に、このような預言が神様によって与えられていたのでしょうか。それはわたしたち人間がなかなか神様のことを信じられない、信頼できないからです。この預言は頑なに神様を信じようとしない、信頼しようとしないアハブというユダ王国の王様に対して与えられたものでした。このユダの王様は周辺の二つの国が同盟を結び、自分の国を攻撃してくるという噂を聞き非常に動揺しました。彼の心は「森の木々が風に揺れ動くように動揺した」と言われています。わたしたちも自分の周りで起きる様々な出来事によって、あるいは耳に入ってくる噂話によって心が揺れ動く、動揺するということがあるのだと思います。しかしそのような時に、神様は預言者イザヤを通してアハズ王にお語りになりました。
「落ち着いて、静かにしていなさい。恐れることはない。(あなたに災いを下そうとするそのような計画は実現しない)」。(イザヤ7:4)
しかしこのアハズ王はそのような神様の言葉を聞いても頑なに信じようとはしなかった、信頼しようとはしなかったのです。それゆえイザヤは彼にこのように言います。
「ダビデの家よ聞け。あなたたちは人間に もどかしい思いをさせるだけでは足りず わたしの神にも、もどかしい思いをさせるのか。それゆえ、わたしの主が御自ら あなたたちにしるしを与えられる。」(イザヤ7:13-14)
このようにして与えられた預言が先ほど見た「インマヌエル」と呼ばれる男の子が生まれる、そういう預言だったのです。
自分を取り巻く状況を知って恐れ、動揺しつつも、頑なに神様を信じようとしない人間。そのような人間に神様ご自身が与えてくださったしるし。それが「インマヌエル(神が我々と共におられる)」と呼ばれるイエス・キリストの誕生なのです。 このようにして誕生されたイエス・キリストはわたしたちの罪を背負って死に、そして復活されました。そして復活された主イエスは自分を見捨てた弟子たちに現れ最後にこのように言われました。「わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる」。
主イエスが世の終わりまで、いつも、どんな時にもわたしたちと共にいてくださる。そのような約束が与えられているがゆえに、わたしたちはいつも主に信頼し、そして神様がいつも共にいてくださる、そのことに信頼していくことができる。どのような時にあっても恐れることなく落ち着いて歩んでいくことができる。そうすることができるために、神様ご自身がイエス・キリストというしるしをわたしたちに与えてくださったのであります。