おはようございます。ラジオ牧師の山下正雄です。
きょう6月29日は、『星の王子さま』の作者、アントワーヌ・ド・サン=テグジュペリの誕生日です。サン=テグジュペリは1900年のきょう、フランスのリオンで生まれました。その代表作『星の王子さま』は250以上の言語に翻訳されるほど、世界中で親しまれています。
この本の中には宝石のように輝く言葉がちりばめられていますが、中でもよく知られているのは、星の王子さまに語ったキツネの秘密です。キツネは星の王子様とのお別れのときに、こう言いました。
「これが僕の秘密だよ。とっても単純なことなんだけどね。大切なものは心で見るんだ。大切なものは目では見えないんだよ。」
ふた言目には、目に見える証拠を求めるわたしたちが、よく考えて見なければならない真理です。ほんとうに大切なものは、「はい、これです」といって、簡単に見せることができるようなものではありません。
たとえば「愛」ということを考えてみたらどうでしょう。もちろん、愛を目に見える形であらわすことは不可能なことではありません。しかし、たとえできたとしても、それだけを見て愛のすべてを知ることはできません。
たとえば、お母さんが子供のために手作りのクッキーを作ってあげたとします。出来上がったクッキーはまぎれもなくお母さんの愛情の現れです。しかし、その出来上がったクッキーを見て、そこに誰もが母親の愛情を見ることができるとは限りません。ひょっとしたら見た目は、売っているクッキーの方がずっとおいしそうかもしれません。
けれども、そのクッキーを作るために労した時間を考えてみたらどうでしょう。材料を買うところから始まって、クッキーの生地をこね、焼き上げる時間、それらは出来上がったクッキーが語ってくれるわけではありません。まして、その時間を捻出するために、やりくりしなければならなかった苦労などクッキーを見ただけではわかりません。たかがクッキーひとつにしても、そこには目には見えないたくさんの愛情がこもっています。そもそも、子供を愛していなければ、子供のためにクッキーを焼こうなどと思いもしないでしょう。
神の愛も同じです。神の愛も、ほんとうにあるなら、見せてもらいたいと、だれもが思うことです。それというのも、目に見える現実の世界は、とても神の愛など存在しないように思えるからです。けれども、ほんとうに大切なものは目では見ることができません。
確かに聖書にはこう書いてあります。
「神がわたしたちを愛して、わたしたちの罪を償ういけにえとして、御子をお遣わしになりました。ここに愛があります。」(1ヨハネ4:10)
「ここに愛がある」といっても、イエス・キリストの十字架に神の愛を見て取ることは、だれの目にも明らかなことではありません。むしろ、十字架だけを見れば、神の愛などないように感じるかもしれません。けれども、そこには、人間が罪の悲惨さの中に死ぬことがないようにと働かれる神の愛があふれているのです。いえ、キリストをお遣わしになった神は、この時に至るまで、片時も人間をお忘れになることなく、救いを実現させるために、働いてこられたのです。その神の愛が、十字架の出来事の中にもっともよく表れているのです。
ほんとうに大切なことは目で見ることはできません。ほんとうに大切なものは心で感じてはじめてわかることです。