おはようございます。ラジオ牧師の山下正雄です。
今月はイエス・キリストの受難と復活とを覚えて、お話をしたいと思います。キリストが十字架にかけられるその場面にもたくさんの人物が登場します。それらの人物の中で今朝はキレネ人のシモンにスポットを当ててお話をします。
十字架刑の判決を受けたイエス・キリストは、総督ピラトの官邸から処刑されるゴルゴタの丘まで、十字架を担いでエルサレムの町を歩かされます。正確に言えば、十字に組まれた木を担いだのではなく、十字架の横木だけを担いだと考えられています。というのは、縦木の方は処刑場にすでに立てられており、通常受刑者は自分が架けられる横木だけを運んだからです。
横木だけといっても、決して軽いものではありません。材木を担いだことのある人なら、その重さがどれくらいのものであるのか、想像がつくことでしょう。もちろん、イエス・キリストは大工の家に育ったのですから、材木を担ぐことには慣れていたかもしれません。しかし、この日は違いました。前の晩から徹夜で続いた取り調べや裁判で、すっかり体力は消耗していたはずです。その上、暴行を受けた打ち傷の痛みは、肩にかかる十字架の横木の重みで、いっそう耐えがたいものになっていたことでしょう。
刑場にひかれていく道すがら、その重みに耐えかねたのか、ローマの兵士はたまたまそこを通りかかった一人の男に、イエス・キリストに代わって十字架を担ぐようにと強要します。
十字架を背負わされたその人物こそ、きょう取り上げようとしているキレネ人シモンです。マルコ福音書もルカ福音書も、この男が田舎から出てきた男であると記しています。キレネというのは北アフリカのリビアの内陸部にあるギリシアの植民都市で、当時多数のユダヤ人たちが住んでおりました。このシモンはそうしたキレネ出身のユダヤ人の一人であったのでしょう。過越の祭のためにわざわざエルサレムに来ていたのか、あるいはすでにパレスチナのどこかに移住してきたのかは定かではありません。ただ、確かなことは、ここを通りかかったのはたまたまの偶然であったということです。
もちろん、神の目には偶然などありませんが、人間の目には偶然としか思えない遭遇です。ましてシモン本人にとっては、降ってわいたような災難です。自分とは何のかかわりもない罪人の十字架を背負わされたのですから、迷惑この上ない話です。
イエス・キリストの十字架の場面で、ほんの一行程度にしか記されないこの人物は、果たしてその後どうなったのでしょうか。迷惑なこの出来事を一生恨みながら過ごしたでしょうか。あるいは、十字架を背負わされる不運な自分の人生を一生嘆きながら過ごしたでしょうか。
実は、この人のその後がどうなったのか、福音書の記事を注意深く読むと、ヒントがあるように思います。
マルコによる福音書は、この人物を「アレクサンドロとルフォスの父」と紹介しています。この表現は、読者がシモンの息子たちを知っているということを前提にしている書きっぷりです。マルコ福音書の読者たちは、キレネ人シモンその人を知らないとしても、その息子たちは知られていたのかもしれません。果たして同一人物かどうかは断定できませんが、ローマの信徒への手紙の中に「主に結ばれている選ばれた者ルフォス、およびその母によろしく。彼女はわたしにとっても母なのです。」(ローマ16:13)と記された一文があります。もし同一人物であるとすれば、シモンの妻と息子ルフォスはローマのキリスト教信者であったということになります。おそらくシモン自身もあの時のキリストとの出会いをきっかけに、キリストを信じる者となったのでしょう。