いかがお過ごしでしょうか。東京練馬の光が丘にあります、東洋宣教教会で牧師をしております、尾崎純と申します。
私は27歳の時に教会に通うようになったのですが、それまでは、本を読んで学ぶことで自分を高めようと考えていました。
ところが、ある時本を読んでいて、困ったことを知ってしまいました。それは、1969年にウィラード・クワインという学者が発見した、「不可測性」と呼ばれる理論です。それによると、私たちが言葉で指し示す対象が、会話の中でお互いに完全に理解されることはないというのです。つまり、私が何かを言った時、相手が私と同じものをイメージしている保証は、どこにもないのです。
これには私は困ってしまいました。私たちは、相手を全く理解しないまま、理解し合っていると思い込んでいるのかもしれないのです。
聖書に出会ったのはそんな時でした。聖書は、「ここにこそ真理がある」と語りかけてきました。確かなものがなにもないはずの人間に対して、聖書は、人間を超えたところにこそ真理が存在することを語っていたのです。
私は、挑戦を受けるようなつもりで、ひとまず信じてみることにしました。それは、正しい選択でした。イエス・キリストは、このように語りかけてくださいました。「あなたたちは真理を知り、真理はあなたたちを自由にする」。今、私は、不確かさから自由にされたことを心から喜んでいます。