お元気にお過ごしですか。筑波みことば教会の小堀です。今日もご一緒に神様を見上げて歩んでまいりましょう。
さて、クリスマスに、ベツレヘムでイエスがお生まれになられた時、「すると、突然、この天使に天の大軍が加わり、神を賛美して言った。”いと高きところには栄光、神にあれ、/地には平和、御心に適う人にあれ”」(ルカ2:13-14)と、聖書は言っています。ここには、羊飼い達の貧しさと対照的な、天の栄光が垣間見ることができます。これは、歴史上のどんな偉大な預言者も聞いたことがなかったような、天の軍勢による最高の賛美でした。「いと高き所に、栄光が、神にあれ」とは、「栄光が、いと高き所に、神にあるように」という祈りです。この世界の悲惨は、神を忘れ、互いを自分を神としたところから始まります。自分に栄光を返すところから始まるのです。
戦争は、正義と正義のぶつかり合いです。ですから、平和運動と言う名の争いだって生まれます。「私は平和のために戦う!」こう叫びながら、身近な人を裁いていることさえも起こりうるのです。私はその点で、自分の愚かなプライドのために譲る事ができなかったことを反省させられることがあります。あなたはどうでしょうか。神が赤ちゃんとなって、この地上に降りてこられた、このことを知るなら、互いの意見をもっと謙遜に聞くことができるのではないでしょうか。神は赤ちゃんとなって、この地上に降りて来て下さいました。これに勝る、謙遜があるでしょうか。神が人となって下さった、いいえ、ただ人となって下さっただけではなくて、赤ちゃんとなって、人に手によって育てられなければならない赤ちゃんとなって下さった、これがクリスマスなのです。
この世界の悲惨は、神を忘れ、互いが自分を神としたところから始まります。私達もまた、自分が自分がと、自己中心の人生を送るのではなくて、自分の罪を認め、神と共に歩む、そんな人生の選択を、このクリスマスに歩んでいきたいと思います。