お元気にお過ごしですか。筑波みことば教会の小堀です。今日もご一緒に神様を見上げて歩んでまいりましょう。
イエスの誕生のとき、そこから離れた野原で、何と「すると、主の天使が近づき、主の栄光が周りを照らしたので、彼らは非常に恐れた」(ルカ2:9)と、聖書は言っています。当時の人々は、ローマ帝国の支配のもとで苦しみながら、「主の栄光」(ver9)が戻って来る、そのときを待ち焦がれていました。ところがそれは、信仰の中心のエルサレム神殿ではなく、野原で夜番をしながら、羊の群れを見守っている、貧しい日雇い労務者のような羊飼いに現れたのでした。そして、御使い達は彼らに、「恐れるな。わたしは、民全体に与えられる大きな喜びを告げる」(ver10)。このように、彼らを民全体の代表者として選んでメッセージを託すと言っているわけです。
何故こんな貧しい羊飼い達が選ばれたのでしょうか。彼らが選ばれた理由は何も記されていません。しかし敢えて言うならば、彼らが貧しかった、だからこそ選ばれたのです。豊かな人は、いつもスケジュールが忙しく組まれています。予定外のことが起こると、それがどんなにすばらしいことであったとしても、柔軟に対応することができない場合があります。忙しいとは、心を亡くすと書きますが、心を忙しくしすぎていると、神の語りかけを聞くことができなくなります。あなたは誰の期待に答えようと毎日忙しくしているのでしょうか?そこが問われています。
しかも、この羊飼い達に示された、救い主の「しるし」、それは眩い光ではなく、何と、「布にくるまって飼い葉桶の中に寝ている乳飲み子」(ver12)、貧しさそのものでした。常識ではあり得ない「しるし」です。こののクリスマスの飼い葉桶を忘れてはいないでしょうか。
あなたは誰の期待に答えようとして毎日忙しくしていますか。こんな忙しい師走だからこそ、ふと足を止めて、クリスマスのメッセージに耳を傾けてみませんか。そこから、新しい生活が始まります。