いかがお過ごしですか。新座志木教会の杉山です。
ある日、主イエスは弟子たちに質問しました。「人々は、わたしを何だと言っているか」。(マルコ8:27以下他)すると弟子たちは、周りの人たちから聞いたことをそれぞれ口にしました。「ある人は、『あのヨハネが生き返った』と言っているようです」、「『聖書に書いてあるエリアがやってきた』という人もいるようです」。弟子たちも他人の事ですから、気楽に、ああでもない、こうでもないと答えていました。ところが主イエスは続いて「それでは、あなたがたはわたしを何ものだというのか」。と尋ねられました。
このように、自分にとってイエスとはなんであるのか、という問いを問われることはとても重大なことです。この時は、弟子たちを代表してペトロという人が答えました。「あなたは、メシアです」(マルコ8:29)と。ところがこれを聞いた主イエスはそれを誰にも言わないように、と命じました。なぜでしょうか。メシアとは、イスラエルの言葉で「油を注がれた人」という意味ですが、それが転じて「救世主」のような特別な王という意味でつかわれていました。そして、みなそれぞれ勝手に、メシアとはこういう人だ、という自分のイメージを持っていました。しかし、主イエスはご自身が、人が思い描くようなものとは全く違うメシアとして歩む事を知っておられました。それで、弟子たちにもメシアの正しい意味を探るように、それが分かるまでは誰にも語らないようにと言われたのです。