いかがお過ごしですか。ラジオ牧師の山下正雄です。
暴力や虐待を望む人はいません。しかし、そうでありながら、暴力も虐待もない社会は、残念ながらこの地上にはいまだ実現していません。家庭の中でも、学校や職場でも、いまだに暴力や虐待が絶えることがありません。それは文字通りの暴力に限らず、言葉の暴力であったり、上司と部下の力関係による無言の圧力であったり、暴力と虐待の姿は多様です。
暴力と虐待の根底には何があるのでしょうか。突き詰めていけばそれは、人間の罪深さに行きつくのかもしれません。その根底にあるものについて、聖書は、こんなことを書いています。
「弱者を虐げる者は造り主を嘲る。 造り主を尊ぶ人は乏しい人を憐れむ。」(箴言14章31節)
自分の身の回りにいるすべての人が、自分と全くのかかわりのない人、いえ、自分にとって厄介な存在としか見えなくなれば、暴力も虐待も断ち切ることはできません。そのように他人が見え始めるのは、その人が自分と同じように神によって造られた存在であるという意識が薄れているからです。
神がわたしを存在させているように、わたしの周りに生きているすべての人を神が存在させていると、心からそう信じるとき、暴力も虐待もない社会への道を進むのです。
今日の言葉…「弱者を虐げる者は造り主を嘲る。 造り主を尊ぶ人は乏しい人を憐れむ。」箴言14章31節