ご機嫌いかがですか。東川口教会の櫻井です。
わたしは20歳のころに聖書を読み、教会に通うようになりました。それはその頃、ラジオでキリスト教番組を聞いていたからです。そしてそこで語られている聖書のお話に関心を持ったわたしは、その番組が提供していた聖書通信講座を受講するようになりました。あるとき、「イエス・キリストは誰のために十字架で死なれたのか」という質問がありました。そこでわたしは「罪人となったすべての人間のためです」という答えを書き込んだのです。ところがやがて、わたしの所に返送されてきた答案にはその問題のところだけ不正解の×が書かれています。それに加えて「あなたは本当にイエス様があなたのために十字架にかけられたことを信じますか」という注意書きが添えられていたのです。
わたしはそれまでただ、聖書に書かれている通りの正しい答えを答案に書けばよいと考えていました。しかしそれでは本当に聖書を理解したことにならないことをこの返事を通してこのとき学んだのです。わたしたちが聖書を読むために大切なことは、そこに書かれている出来事と自分とはどのような関係があるかを真剣に考えることです。そうすればイエス様は必ず聖書を読むわたしたちに聖霊を遣わしてくださって、その言葉の本当の意味をわたしたちに示してくださるのです。
聖書の言葉
「しかし、弁護者、すなわち、父がわたしの名によってお遣わしになる聖霊が、あなたがたにすべてのことを教え、わたしが話したことをことごとく思い起こさせてくださる。」ヨハネによる福音書14章26節。