いかがお過ごしですか。新座志木教会の杉山です。一週間ご一緒に聖書に聞いていきたいと思います。
主イエスはある時、多くの人たちを教えておられました。そして神の国を種まきにたとえられました。(マタイ13:18以降ほか)
ある種は、道端に落ちて鳥が食べ、別の種は石だらけの土地に落ちて、すぐに枯れてしまい、また別の種は、茨の中に落ちてしまい、実を結ぶまで、育つことが出来ませんでした。このように、散々な結果に終わった種のことが語られました後で、もう一つ別の種の話をされます。その種は、良い土地に落ちたので、順調に育って実を結び、30倍、60倍、100倍もの実を付けたのでした。当時の麦などの作物は1粒から20粒程度取れれば成功だったようですから、これはかなりの収穫ということになります。
ところでこれは神の国のたとえ話ですから、わたしたちが神の国を理解するという実を結ぶかどうかということが言われているはずです。主イエスは最後にどきりとすることを語られました。「聞く耳のあるものは聞きなさい」。まるで、あなたたちは聞いて、神の国を知ることが出来るか、と挑戦しておられるようです。しかし、わたしは少し別のことを考えました。それは、聞く耳は与えられるのではないかということです。主イエスの言葉を聞く耳はある時に与えられ、その時には大きな実りがあるのです。そしてそれは今日かもしれません。