お元気にお過ごしですか。茨城県つくば市東、筑波みことば教会の小堀です。今日もご一緒に神様を見上げて歩んでまいりましょう。
さて、イエス様は宣教の働きを始められる前、弟子達を選ばれたのです。マルコによる福音書の1章の16節から17節でこのように聖書は言っています。
「イエスは、ガリラヤ湖のほとりを歩いておられたとき、シモンとシモンの兄弟アンデレが湖で網を打っているのを御覧になった。彼らは漁師だった。イエスは、『わたしについて来なさい。人間をとる漁師にしよう』と言われた」。聖書はこのように言っています。
イエスは、ご自身の主権をもって、弟子達を招かれました。その御言葉の文脈を理解するためには、動詞の流れを見ていくとよく分かる、これはよく言われていることですが、イエス・キリストが、ガリラヤ湖の畔を歩いておられました。シモンとその兄弟アンデレが湖で網を打っているのを御覧になられました。そしてイエスが「わたしについて来なさい。人間をとる漁師にしよう」と言われたのでした。
お分かりのように、動詞の主語はすべてイエス様なのです。イエスご自身が、ご自身の主権をもって弟子達を招いておられるのです。
これは、わたし達一人ひとりにも当てはまることです。わたし達は、人生のある時にいろんな決心をして教会の門を叩くでしょう。それぞれのご意志で、イエス・キリストに従って行こうと決心すると思うのです。しかし実は、その背後にあって、永遠の初めから、神がわたし達を招いていてくださる、導いてくださっている。そこに神様の深いご愛があるのです。
「あなたがたがわたしを選んだのではない。わたしがあなたがたを選んだ」(ヨハネ15:16)。聖書は語っています。
神様が愛の御手によって、永遠の初めから、わたし達一人ひとりを選んでくださった。どうぞあなたもこの選びに応えて、イエス様に従ってください。それではまた御機嫌よう。