お元気にお過ごしですか。私は今週一週間、この番組を担当させて頂きます、茨城県つくば市の筑波みことば教会牧師の小堀昇と申します。どうぞ宜しくお願いいたします。
聖書は次のように語ります。
「神の子イエス・キリストの福音の初め。」(マルコ1:1)。
全ては、ここから始まります。原典では、初めと言う言葉が、一番最初に出てまいります。これは、時間的な概念です。終わりに対する、初め、終わりに対する最初です。
全ては、イエス・キリストの福音から始まります。福音、これは原典では、有名な、ユーワンゲリオンです。あの、エヴァンゲリオンというアニメのもとになった言葉です。そのまま訳すと、「良い知らせ」です。
イエス・キリストは、そのご生涯をかけて、この良い知らせ、福音を伝えられました。そして、十字架と復活を通して、この福音を完結されました。
では何故、イエスは十字架にかけられなければならなかったのでしょうか。それは勿論わたしたちの罪を赦すためでありました。しかし、厳密には、イエスはご自身を神の子と呼んだからなのです。
神の子、これは、神御自身という意味です。自分を神とする、これは明らかなる、冒涜罪です。神に対する冒涜罪でイエスは、ファリサイ派、律法学者の人々の手によって十字架へと差し出されていったのです。
しかし、これこそが福音の初めです。正にイエスは、わたし達の罪を赦すために十字架にお掛りになられ、三日目にお甦りになられました。そしてわたしたちの救いを完成してくださったのです。これこそが、福音の初め、福音の出発点、いいえ、福音の全てです。
あなたもこのイエス様を信ずる時に、新しい人生に入ることができます。どうぞあなたも新しい人生を歩んでください。それではまた御機嫌よう。