いかがお過ごしですか。ラジオ牧師の山下正雄です。
天地万物が神の手によって造られた、と教える万物の創造説には、昔から有名な反論がありました。それは、その天地万物を造った神自体を、いったい誰が造ったのかという反論です。確かに、神が永遠の初めから存在し、神ご自身は何によっても造られもしなければ、生み出されもしないということが証明されなければ創造論は成り立ちません。
しかし、考えてもみれば、永遠ということ自体、永遠ではない人間が理解することができないことがらです。まして、神というお方がどんなお方であるかなど、人間にはわからないことです。その理解を超えた永遠者が天地万物を造ったのか造らなかったのか、という問題は、もはや人間の理解を超えたことがらです。
それにもかかわらず、なぜキリスト教は天地万物を神が創造したというのでしょうか。それは、神の言葉である聖書がそう教えているからです。神にかかわることは、ただ神だけが語ることができると信じているからです。言い換えれば、天地万物が神の作品であるとは、信仰によってだけ受け取ることができる真理です。
今日の言葉…「信仰によって、わたしたちは、この世界が神の言葉によって創造され、従って見えるものは、目に見えているものからできたのではないことが分かるのです。」ヘブライ人への手紙11章3節