いかがお過ごしですか。ラジオ牧師の山下正雄です。
人間にとって、死という問題は避けて通ることのできない問題です。しかし、死の問題と同じくらい大切なことは、自分が何のために生きているのか、という問題です。人は生きているからこそ、生きる意味や、目的について考えます。けれども、そこには大きな落とし穴があります。生きる目的が、しばしば生きる手段と摩り替わってしまうからです。何のために生きるのかではなく、何をして生活の糧を得るのか、それが生きる目的と入れ替わってしまうからです。
聖書は、もっとも大切な人間の義務は、神を愛することと、人を愛することであると教えています。しかし、この義務には大きな前提があります。それは、人間の愛に先立って、神の愛が人間に注がれているということです。言い換えれば、人は神に愛されるために生まれ、神の愛に応えて、神を愛し、人を愛するために生まれてきたということです。
しかし、現実の世界は、神の愛など実感できないことの方が多いように思われます。だからこそ、聖書はどこに神の愛をまず見出すべきかを教えています。
今日の言葉…「神は、独り子を世にお遣わしになりました。その方によって、わたしたちが生きるようになるためです。ここに、神の愛がわたしたちの内に示されました。」ヨハネの手紙一 4章9節