おはようございます。埼玉県川越教会の木村香です。
大まかな言い方をしますが、旧約聖書は紀元前に書かれました。新約聖書は紀元後に書かれました。
イエス・キリストを間に挟んで、旧約聖書はこれから来られるキリストを、新約聖書はすでに来られたキリストを指さして、書かれています。この人を見よ、ここに命の道がある、と。
聖書は神様の言葉、と言われます。ペンを執って書いたのは人です。例を挙げればモーセ、王様のダビデ、税務署員のマタイ、漁師のペトロ、学者のパウロなどなどです。旧・新両約聖書66巻を35人で書きました。このたくさんの人それぞれが一所懸命に考えて、神様はこうだ、人生の意味はこれに違いない、と書いたのではありません。
「聖書はすべて神の霊の導きの下に書かれ、人を教え、戒め、誤りを正し、義に導く訓練をするうえに有益です」と聖書に書かれています(2テモテ3:16)。この、神の霊に導かれて、というのを霊感、と言います。聖書は霊感によって書かれました。霊感というとなんだか曖昧な感じがしますが、そうではありません。すべてのものを導かれる神様が、聖書を書くためにお選びになった人を導かれたのです。
聖書記者たちをパソコンのキーボードのように用いられたのではありません。その人の心を導き、決して間違いを犯さないようにされました。そういう意味で聖書の著者は神様です。
ですから35人の人がおよそ1500年もの幅で相談もなしに書いたのに、全く一つの矛盾もない、一貫したテーマがあります。神様、人の罪、救い主、永遠の命について書いているのです。聖書の真の著者は神様で、お一人だからです。