お元気にお過ごしですか。筑波みことば教会の小堀です。今日もご一緒に神様を見上げて歩んでまいりましょう。
聖書はヨハネによる福音書4章7節でこのように語ります。
「サマリアの女が水をくみに来た。イエスは、『水を飲ませてください』と言われた」。
サマリヤの女は、イエスの「水を飲ませてください。」この言葉に三つの意味でビックリしました。
それは第一番目に、ラビ、いわゆる宗教家は、女と話すということはほとんどあり得なかったからです。
第二番目に、ユダヤ人がサマリヤ人と交際をする、これもあり得ないことでした(9節)。
そして、第三番目、非常に道徳的に乱れた女性に、あえてそれをご存知の上で、「水を飲ませてください」(7節)、声を掛けられた。これもあり得なかったことです。
イエスは、天の栄光のお姿を捨てて、『罪』の世に、罪人の友となって、罪人の理解者となり、罪人を救うために、クリスマスの日にこの地上にお生まれになられました。
声を掛けるのは、わたし達のほうからではないのです。いつも神様が先なのです。救い主であるイエス・キリストの方が先なのです。神は、人が神様のために祈り、何か良い物を献げるので、どれどれしょうがないと重い腰を上げられるようなお方ではありません。聖書はローマ人への手紙5章でこのように語ります。「しかし、わたしたちがまだ罪人であったとき、キリストがわたしたちのために死んでくださったことにより、神はわたしたちに対する愛を示されました」(8節)。
聖書の福音、それはこの命を、わたし達に与えてくださるために、神が愛の先手を打ってくださって、御子イエス・キリストをこの地上に遣わしてくださったというところにあります。あなたもどうぞ、愛の先手をもってわたし達を導いてくださるこのイエス・キリストの愛を信じてください。そうするならば、人生は必ず変わります。どうぞあなたもイエス様を信じて永遠の命を御自分のものとなさってください。