お元気にお過ごしですか。筑波みことば教会の小堀です。今日もご一緒に神様を見上げて歩んでまいりましょう。
聖書はヨハネによる福音書第4章でこのように語ります。
「シカルというサマリアの町に来られた。そこにはヤコブの井戸があった。イエスは旅に疲れて、そのまま井戸のそばに座っておられた。正午ごろのことである」(5-6節)。
イエス様は、シカルというサマリヤの町に来られました。そこのヤコブの井戸で、イエス様は、正午ごろお疲れになられて腰を下ろされていたのです。
イエス様は、わたし達と同じように、赤ちゃんとしてクリスマスの日にお生まれになられました。幼児から青年に、そして一人前の大人へと成長なされていきました。そして、わたし達と同じように、空腹を覚えられ、喉の渇きを覚えられ、痛まれて、もちろん疲れを覚えられ、睡眠を必要とされました。イエス様はわたし達のもつ弱さを、『罪』を除いては完全にお持ちになられていたのです。真の神であるイエスは、真の人となってくださいました。
ヘブライ人への手紙の4章で聖書はこのように語ります。
「この大祭司は、わたしたちの弱さに同情できない方ではなく、罪を犯されなかったが、あらゆる点において、わたしたちと同様に試練に遭われたのです」(15節)。
わたし達が弱さを覚えて叫ぶ時に、それを受け止めてくださるお方がいます。わたし達の痛みや悩みや苦しみに、共感してくださるお方がいるのです。
わたし達のありとあらゆる苦しみをイエスは御自分のこととして理解してくださいます。何よりもイエスは十字架であなたの身代わりの裁きを受けて、究極の苦しみをあなたの身代わりに受けてくださったのです。
どうぞ、あなたも、このお方を信じて、慰めの人生を歩んでください。そこからあなたの回復の人生、祝福の人生、何よりもあなたに共感してくださるイエス様の恵みの人生が始まるのです。