お元気にお過ごしですか。茨城県つくば市東、筑波みことば教会牧師の小堀昇です。今日もご一緒に神様を見上げて歩んでまいりましょう。
姦淫の現場で捕まった女その女を目の前にして、ファリサイ人、律法学者達から、しつこく問い続けられた後イエスが言った言葉、それがこの御言葉です。
「あなたたちの中で罪を犯したことのない者が、まず、この女に石を投げなさい」。ヨハネによる福音書8章の御言葉です。
このイエスの御言葉は、悪意に満ちた彼らの心を深く刺し通しました。この一言葉によってイエスとファリサイ人律法学者たちの立場が全く逆転をしました。イエスを罪に定めようと準備周到用意画策してきたファリサイ人律法学者たちが、逆にイエスの言葉によって、裁かれることになってしまいました。ファリサイ人律法学者たちは自分自身の現実を突きつけられたのです。
わたし達は、時として人を裁きます。人を断罪します。上から下目線で人を裁きます。そして、自分は大丈夫だと思ってしまいます。しかし、よくよく胸に手を当てて聞いてみるならば、とても人を裁くことなんかできない、そんな現実がわたしの心の中にもあるのです。
「これを聞いた者は、年長者から始まって、一人また一人と、立ち去ってしまい、イエスひとりと、真ん中にいた女が残った」(ヨハネ8:9)。
人生の年輪を踏めば踏むほどに、人のことを笑えなくなる。それが私達の人生の現実でありましょう。人の犯した罪でも、それがわたしが犯すことがなかったという保証はない。年を取れば取るほどに、わたし達は思うのではないでしょうか。そしてもし、わたし達が罪を犯さなかったとするならば、それは神の恵み以外の何物でもない。そのように思うのではないでしょうか。わたしの心の中にいる自分。その自分に聞いてみましょう。そうすれば神の恵みによってわたし達は生かされている、そのことに気が付くのではないでしょうか。