お元気にお過ごしですか。私は今週一週間、この番組を担当させて頂きます、茨城県つくば市東、筑波みことば教会牧師の小堀昇と申します。どうぞ宜しくお願いいたします。
聖書は次のように語ります。
「イエスはかがみ込み、指で地面に何か書き始められた」。ヨハネによる福音書の8章6節です。
実は、この御言葉は、イエスが、姦淫の現場で押さえられた女を、イエスを罠にかけるために、ファリサイ人、律法学者達が引き立てて来て、「先生、この女は姦通をしているときに捕まりました。こういう女は石で打ち殺せと、モーセは律法の中で命じています。ところで、あなたはどうお考えになりますか」(ヨハネ8:3-5)。このように詰め寄ってきたときに、イエスが取られた行動だったのです。
姦淫の現場で捕まえられた女です。もしかすると着の身着のままであったかもしれません。「一体姦通を犯した女、どんな女だ」。恐らく男たちは興味津々にこの女の顔を覗き込んだかもしれません。ですからイエスは、屈んで地面に何かを書くことによって、人々の嫌らしい好奇の目線をこの姦淫の女から逸らせてやったのではないでしょうか。
当然イエスがこんな奇異な行動を取れば、その目線は一斉にイエスの指先に注がれるでしょう。そして、この女性を人々の好奇の目線から解放してあげることができたのではないでしょうか。つまり、この女性の心をイエスは自分の心として、自分が同じようにこういう場に置かれればどう思うだろうか、そのように考えてこの女性の心を慮って、姦通の現場で捕まったこの女をイエスは守ってあげたのです。
ここにイエス様の、愛の心があります。それは、相手に恥をかかせまいとする、その人の痛みや悩み苦しみに共感してくださる、そんな温かい心です。イエス様はあなたの心にも共感してくださるお方です。