ごきげんいかがですか。東川口教会の櫻井です。
聖書は「信仰とは目に見えない事実を確認して」生きることだと教えています。昔イスラエルの預言者エリシャの住む町が、敵の軍隊で包囲されるという出来事が起こりました。イスラエルの敵の王様が作戦を立て、イスラエルに攻め込もうとすると、神様からいただいた不思議な力を使ってエリシャがそれを事前に見破ってしまうからです。そこで敵の王様はこの邪魔なエリシャをまずやっつけてしまおうと考えたのです。
ある朝、エリシャの召使が目を覚まして外に出て見ると、たくさんの敵の兵士たちが町を取り囲んでいる姿に気づきます。そして「ご主人さま、どうしたらよいのでしょうか」と驚きあわてたのです。するとエリシャは「恐れるな、わたしたちの味方のほうが、敵の数より多い」と彼に語ります。しかし、召使にはたくさんの敵兵の姿が見えるだけで、エリシャの言葉の意味がわかりません。そこでエリシャが神様に「彼の心の目が開かれるように」と祈ると、その召使は自分たちを守るためにやってきている天の大軍の姿を見ることができたというのです。
神様の姿とその働きはわたしたちの目で見ることはできません。しかし聖書はこの目に見えない神様の事実をわたしたちに伝えてくれるのです。ですからわたしたちの信仰生活は、この目に見えない神様の事実を確認して生きるものだと言えるのです。
聖書の言葉「信仰とは、望んでいる事柄を確信し、見えない事実を確認することです。」ヘブライ人への手紙11章1節です。