いかがお過ごしでしょうか。東京恩寵教会協力牧師の千ヶ崎基です。今日も神様の御言葉に聞きたいと思います。
「教会のシンボルは何ですか」と質問されたら、皆さんは何とお答えになるでしょうか。多くの人が「十字架」と言われるのではないかと思います。しかし、この十字架というのは、かつて死刑執行の道具でした。十字架に付けられて死ぬことは、侮辱の対象でした。だから当然、十字架で死刑にされた人々は、周囲の信頼など得られないはずなのです。
ところがイエス様は、マルコによる福音書8章31節で、「わたしは当時の宗教家たちから退けられ、十字架で殺されることになる」と、弟子たちに教え始めたのです。弟子のペトロは驚き、「そんなことがあってはいけません」と言いました。でも、イエス様は、「あなたは神のことを思わず、人間のことを思っている」と言われて、あくまでも十字架に付けられて死ぬことになると伝えたのです。
イエス・キリストという神は、一体どういう神なのでしょうか。自らが十字架で死ぬことになると言い切ってしまうイエス・キリストという神は、本当に信頼できるのでしょうか。いや、信頼できるのです。なぜなら、人々の罪の身代わりとなって命を捨てるほどに、わたしたち一人ひとりを愛していることが、あの十字架の死ではっきり示されているからです。聖書から、十字架につけられた主イエス・キリストを正しく知る人だけが、本当の幸いを得ることになります。あなたは、このことを信じますか。