いかがお過ごしでしょうか。国立聖書教会の野島邦夫です。
19世紀の半ば、ダミアン神父は当時社会から全く見捨てられていたハンセン病患者たちのため、文字通り自分の生涯を捧げました。
このみなぎる熱い思いはどこから生まれたのでしょうか。彼にとっては、神を愛すること、即ち隣人を愛することでした。いや、それ以上のものでした。
隣人を愛することは、即ち神を愛すること、いわば、奉仕する隣人の中に主なる神を見ていました。
マザー・テレサもこんな言葉を残しています。
「すべての人の中に神はおられます。ハンセン病患者の傷を洗う時、わたしは、主その方を看護していると感じます。」これが「人は『神のかたち』に創られた」(創世記1章)ことの深い意味です。そしてこの事を、神の愛に照らされた人は誰でも見ることができます。
ダミアンは死を前にして、すべての自分の所有物を教会と患者の施設に寄贈しました。文字通り裸で神のもとに帰りました。激しく損傷した体だけを携えて。その時言いました。「これで清貧のまま死んでいける。自分のものは何一つなくなったのだから。」
彼はこの世で自分のために何も得ようとも、残そうともしませんでした。しかし御国に入れられた時、主からきっと言われたでしょう。「わたしの兄弟である、このもっとも小さな者の一人にしたのは、わたしにしてくれたことなのである。」(マタイ25:40)この主のことばこそ、彼の働きに対する最高の褒美です。