いかがお過ごしですか。新座志木教会の杉山です。わたしたちは目の前にある問題にばかり気をとられ、いつしか自分が何をしているのか見えなくなってしまうということがあるようです。
例えば聖書にもこのようなことが書いてあります。イエス様がイスラエルのエルサレムにおられたときのことです。
そこには水が動いた時に病の癒しの奇跡が起こると評判の池がありました。ある病人は38年間もその池の側にいたのに治らないままでした。イエス様が彼に近づいて「良くなりたいか」(ヨハネ福音書5:6)と尋ねました時、彼は、どうして自分がいつも、いつも癒されないままなのか、その理由を話し始めました。「せっかく水が動いても、誰もわたしをそばに連れて行ってくれないのです」「それで、いつも誰かが先に降りていってしまいます。」だから、いつも自分は取り残される、とこの人は言いたかったようです。
確かに彼の言っていることは事実だったでしょう。何度も繰り返し残念な思いをしてきたのでしょう。けれども、イエス様が言われたのは「良くなりたいか」という問いかけでした。一見しますと当たり前のような一言ですが、この問いかけは恵みが目の前まで近づいていることを知らせる問いかけでした。そしてイエス様は、癒されない理由を語る人に向かって「起き上がりなさい」と呼びかけられ、その人は床をたたんで起き上がりました。このように恵みは気付かないだけでわたしたちのすぐそばに来ているのかもしれません。