おはようございます。ひたちなか市にありますひたちなか教会の小宮山です。
幸せになりたい。こうした思いは誰しもが持っていることでしょう。こうした感情を持つことは、自然なことであり、ずうずうしい事でも意地汚いことでもありません。聖書では、幸せに生きる人はどのような人かを教えています。
旧約聖書の詩編という書物の最初の詩、詩編の1編にはこのように記してあります。
「いかに幸いなことか 神に逆らう者の計らいに従って歩まず 罪ある者の道にとどまらず 傲慢な者と共に座らず 主の教えを愛し その教えを昼も夜も口ずさむ人。」(1-2節)
幸せになるとは、何かをつかむことかもしれません。人間関係、充実した仕事、家族、金銭。そうしたものをつかむことが幸せだと考えられています。
しかし、聖書が語る幸いとは、主の教えを愛し、その教えを昼も夜も口ずさむことです。主の教えをつかむことです。こうしたことを実践する人が、幸いな人、幸せな人なのです。
主とは、この世界をお創りになった神様のことです。この神様の教え。これは神様の言葉といってもよいでしょう。神様の言葉を、わたしに語りかけている言葉だと知り、その教えをハミングする人。それが、幸いな人生です。仕事も、家族も、金銭も、人との比較がなされます。しかし、神様の言葉は他人との比較ではなくて、神様から一人ひとりに与えられる、メッセージです。神様は、一人ひとりのことを愛しています。愛するあなたに必要なメッセージが、聖書の中に必ずあるのです。