キリストへの時間 2013年8月25日(日)放送 キリストへの時間宛のメールはこちらのフォームから送信ください

土橋千歌(清和学園養護教諭)

土橋千歌(清和学園養護教諭)

メッセージ: 絶望せず希望をもって

 おはようございます。清和学園養護教諭の土橋千歌と申します。今回、ラジオの前の皆様にお話をさせていただく機会をいただき、どんな事をお話すれば良いだろうかと深く考えました。そして脳裏に浮かんできたのは、1995年1月17日に発生した阪神淡路大震災の炊き出しのボランティア活動に参加した際に起こった出来事でした。とある団体に所属する友人に誘われたわたしは、震災後3週間を経過した神戸市長田区へ入りました。まるで怪獣に踏みつぶされたかのように倒壊した多くの建物を見てショックを受けたわたしは、「できる限りの事をやろう」と意気込み、友人らと共に豚汁やおにぎりなどをつくり、被災者の方にお配りしていきました。

 作業に勤しんでいるわたしたちの前に現地の方でしょう、4、50代とおぼしき女性が一人現れて関西弁で何事かをまくしたて、場を仕切りはじめました。内容はよく覚えていませんが、かなり苛立った強い口調であったことははっきりと覚えています。その女性は10分ほどでその場を立ち去りましたが気まずい空気が立ち込めていました。すると一緒に活動に参加した友人の一人がややおこった口調で「あの態度はいったい何で!」と一言、言いました。わたしも言葉にこそ出しませんでしたが心の中には「はるばる高知から来て色々と助けてあげているのに、どうして」といった思いが渦巻いていました。

 その出来事から8年後の2002年、わたしはイエス・キリストを信じ教会に通い始め、洗礼を受けました。イエス・キリストを信ずるようになってから、今までの自分はなんと傲慢で罪深いものであったかを様々な出来事を通し、認識するようになっていきました。そうして2011年3月11日の東日本大震災を迎えました。被災地の悲惨な状況を伝えるラジオのニュースを聴いている時、神戸での出来事をわたしは思い出しました。そしてわたしの罪に気がついたのです。確かに言葉に出して怒ったのは友人でしたが、口に出さずに善人ぶったわたしの方こそ罪深かったのです。その女性のことを心の中で罵り、「こっちが助けにきてやっている」と踏ん反り返っていたのです。女性は震災で大切な人や家をなくしたかもしれない、地震直後の混乱した状態で肉体的にも精神的にも疲労が溜まっていただろうにも関わらず、それを思いやりもしませんでした。わたしは善行を施してやっているといい気になっていたのです。女性はわたしのそうした態度や心の中を見抜いていたのでしょう。

 聖書に「正しい人はいない。一人もいない。」というくだりがあります。正しいことをやっているつもりで実は全く的外れな生き方をしていた事をこの出来事を通し、この聖書のくだりを通しわたしは示され、知らされたのです。
 聖書を通して知らされる事は時には、自分にとって辛く苦しい事もあります。しかし聖書は一方で「あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。」とも語っています。イエス・キリストは全く的外れな生き方をしていたこの自分を深く愛し、慰め励まし続けてくださっています。それゆえわたしは今もこうして生き恥をさらしつつも、絶望せず希望を持って生かされています。
 ラジオをお聴きの皆様も是非教会へいらしてみませんか?何かが見えてくるかもしれません。

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